カニンガム対策

数年前から、「間違ったことを書いて正解を引き出す」という法則にて訂正のふりをして、自己主張をねじ込むという手法が多く見られる。
周辺では、それが正確なのかは計りかねる事ができないから、正解として扱わせようみたいな意図で狡猾な発言がよく見られる。政治的な発言だと更に外野が支援するような作法が出来ていたりする。
ということで初心者が助けを求めているところを利用して、話の腰を折ったりマウントを取ったりするためのトリガーとして利用されているケースが多い。

身元がはっきりして、発言が真っ当なこととしてを言い続けられるような信頼性を得ていない人以外はコミュニケーションを取る資格がそれほどないんじゃないか、みたいな事を思ったりする。
指揮系統も言われた事をやるだけというのは最底辺の仕事で、それが出来なければ昇進できない。
話が聞けないならしゃべるな、言ってもない事を勝手に言いだすと混乱が生じるというのにつながるのだろう。
そういう意味では、過去に庶民に対しては参政権も与えられなかったという背景があるのかもしれない。

話の腰を折ったり、話題をずらしたりすることは出来るが、表現能力が稚拙な人から言いたい事を読み取って、そこに対しての意見を述べる能力は、出来ない人の方が多い。
自分の出来ない方で、伝えようとする事を整理していないと途端に素っ頓狂な事を言い出す失敗をする。というか、先日もやらかした。
なんだかよく分からない若手の発言を聞いてて要領を得られず、話の意味が分からずイライラしたと感情を伝えることもあった。
正確な発言かつ、相手の思考回路で理解できるようなワードセンスなどは結構難しい。
そして人間は50歳あたりを境目に、相手の言いたいことを推測したり、単語を選ぶという能力が顕著に劣化するというのは分かった。
・・・劣化した後の自分のマインドセットをどうするか今のうちに考えよう。

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何かを作るときにストーリーがなくても作れるような技術をある程度心得たけど、作ってて何も楽しくないというのがある。
ものを作るときに手を動かさないと駄目、というのも痛感しているけれど、結局ずっと手を動かなさいと作れないものがあるということを知るだけでも全然良いし、とにかく自分の理解の中に入れるのと自分の理解の範疇を広げて、その中の世界をとにかく交通整理し続けるというのがやり続けられるかが、続けてできるものとできないものの違いのような気がしている。

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iidxをプレイしているけれど、以前よりもずっとリズム感が上達しているような気持ちになる。というかキー音がなくてハンドクラップをやってると嫌でもリズム感に対して神経が研ぎ澄まされていくのがわかる。
キー音があると曲を演奏するという目的に縛られててリズム的に駄目でも音切りの部分に合わせて正解みたいなところに行くから、リズム感がしっかりしてなかった所があったと振り返られる。
過去曲とかプレイしてても懐かしいのと同時に、リズムのセンスが酷いなあと思ってしまう事もある。とにかく譜面を難しいものにするという厳命があるから、そんな風になっていたところもあると思われる。
新しい曲になると、そのあたりがしっかりとしていくというのも理解できた。
そういう意味では譜面もしっかり進化してきたという部分よりも、リズム感覚が研ぎ澄まされてきたと言っていい。リズム感がおかしい曲だと気持ち悪く感じるようにもなった。
過去曲はそういう意味で好きになれなくなった。

2021.07.25 / Category : 小噺