自動下書き

ようやく、怒涛の1ヶ月が終わった。

今の仕事においても、これほど落ち着かない暮らしぶりは珍しい。忙しさはまだ続いているが、毎日会社と遠方を行き来するような、中途半端に消耗する日々はひとまず終わった。それだけでも、少し救われた気がする。

とはいえ、あの生活が3週間も続くくらいなら、いっそホテル暮らしにしてほしかった。リモートで仕事が許されるのなら、自宅かホテルで静かに集中したかった。そう思いながらも、ひとまず無事だったことに安堵している。


身の回りで、ささやかな熱病が流行している。先々週に体調を崩したのも、もしかすると誰かからもらったものだったのかもしれない。

都内在住の方は、どうかご用心を。


自宅にデスクトップPCを置いているが、場所を取るたびに鬱陶しさを感じるようになった。そのたびに思う。結局は、持ち運びのしにくいハイエンドノートを買う未来しか見えてこない。

音声入力で脳内を整理することも増え、ChatGPTを使うときは、オーディオ周りの準備が煩雑で、ついThinkPad X280を立ち上げてしまう。しっかりしたオーディオ環境を整えようと、ヘッドセットやコンデンサーマイクも試したが、むしろ準備の手間が増えてしまい、使う気になれなかった。

便利さを求めたはずが、不便が積み重なっている。

そんな不快な感覚が、ふとした瞬間にやさしくのしかかる。


手指のささくれがひどい時、マルチビタミンのサプリを数日飲むと、嘘のようにおさまる。それが続くうちに、自分の栄養状態を測るひとつの指標として見られるようになった。ささくれのない生活を心がけたいと思う。

最近は、食物繊維が明らかに足りていないことに気づき、イヌリンを摂るようになった。ところが、食事制限の影響で栄養のバランスが崩れたのか、体が「うんこが少ないけど、どうなってるのか?」と訴えてくるような便通になってしまった。

明らかに腸は高回転で稼働しているのに、出てくるものが追いつかない。人体の神秘というより、ちょっとした不調の再現実験のようだ。もはや、あとはケツからブラックホールが現れるのを待つだけかもしれない。

お食事中の方は、すみません。

マニアの方、お待たせいたしました。


昼休みに、秋葉原でPCパーツを急ぎ購入。

仕事には一切影響がない――これぞ、西村京太郎トラベルミステリー。

ただ残念なことに、俺とまったく関係のない誰かが、既に死んでいる。これもまた、西村京太郎トラベルミステリーの真骨頂である。嘘。

近ごろ、低回転のケースファンが市場から姿を消しつつある。静音PCを組むには厳しい時代だ。不可能ではないが、BIOSでファン設定を細かく詰め、定格を落とし、回転数を下げる――そうしなければ、まともに使えない構成が増えてきた。

5インチベイのファンコントローラーも消え、「静音性」を追求する選択肢はますます狭まっている。140mmで2000回転が当たり前の時代など、誰が予想しただろう。

仮に低回転化を図ったとしても、メッシュタイプのケースでは音が抜け、効果は薄い。一方、窒息ケースの新製品は絶滅し、O11系のクローンが市場を占拠している。やれることが減っていく。

簡易水冷を使っても、360mmはファンが3基必要になる。これをハブ経由で制御すると、回転数が不安定になる。SATA電源から12Vを引いた場合、ファンは制御不能なまま定格で回る。USB接続型のファンコンを搭載したハブもあるにはあるが、付属ユーティリティが貧弱で、ゲーム起動時にライティング干渉を起こす。ひどいときには、起動すら阻まれる。

そうなると、280mmにサイズを抑え、ファン数を減らし、マザーボードに直結するのが現実的だろう。だが、MSIのCarbonクラスですら制御が不完全だったのは意外だった。昨今はケーブルレス連結といった新方式も出てきたが、PWMの存在意義そのものが曖昧になってきているように思う。

ARGB制御の煩雑さも加わり、結局は「マザーボードに取り付け可能なファン数」を前提にケースを選ぶ方が賢明かもしれない。ファンを5基ほどに抑えるのが現実的な上限。

そう考えると、360mmのラジエーターはやはりバランスが悪い。


細かなことでも、ChatGPTと壁打ちしながら企画を練らないと、どうしても言動の質が落ちる。場当たりで動くことが増え、マインドセットもワークフローも定まらない。

それらがない状態では、糸の切れた凧のようなものだ。

ただ、それを「自由にやっていい」と言い換えて、自分なりに挑戦へと転じていかないと、どうしてもモチベーションが続かない。

2025.06.20 / Category : 小噺

台湾、ゴリゴリ旅

台湾に行ってきた。ほとんどの時間を仕事に費やし、息をするように動いていたため、記憶に残ることは少ない。

観光ではなく、ずっとComputexの会場にいた。今年は、AMDの影すら見えなかった。新作ビデオカードは発表されていたが、目新しさは薄く、発表されたのも5060番台程度の実用的なもの。会場全体が、nvidia一色に染まっていた。Intelもまた、CPUに関しては特に強いメッセージを打ち出すこともなく、かつての勢いからの退潮を感じさせる展示だった。

一方で、ジェンスン・ファンが来台した瞬間、ローカルメディアは一斉に速報を出し、その訪台に合わせるように、nvidia本社やスパコンセンターを台北に設立するという爆弾発言。

すべてが用意された流れだった。

たまたま、会場で本人が目の前を通り過ぎていくのを見た。台湾の人々からは、まるで現人神のような扱いを受けていた。その熱気と視線の強さが、いまも記憶に焼きついている。

数兆円規模の産業投資が数日で台湾に流れ込む――その現実を前にすれば、熱狂は自然なものだろう。

ジェンスン本人は、どこにでもいそうなフレンドリーな“おじさん”だった。カリスマとしての圧はなく、それがむしろ現在の“ロールモデル”と呼ぶにふさわしい佇まいだった。余った炒飯弁当を出待ちの群衆に配ったという報道もあった。演出の域を超え、生活感のある人として、確かに地続きの存在に見えた。

アメリカと中国、どちらもnvidiaにとってはもはや“ベストパートナー”ではなく、むしろリスクである――そう言葉にこそしないが、距離の取り方は明確だった。制裁で売上を制限される中国、併合をちらつかせる国に挟まれながらも、台湾を拠点とすることで両者をかわしている。企業として、政治を正面から受けずに生き延びる、絶妙な舵取りだ。

それ自体が、台湾という場所の戦略性を浮き彫りにしていた。

Computex会場では、有名YouTuberの姿はあまり見かけなかった。Hardware CanucksやGamers Nexusの姿もなし。その一方で、NoctuaのJacob氏にはきちんと会い、記念に写真も撮ってもらった。実機展示では、パッシブ水冷に強い関心を持った。NoctuaコラボのFlux Proも、質感が非常に良い。小型モデルを選んでしまったのは少し後悔しているが、Flux自体の機能性は高いと感じた。

Antecは「Nine Hundred」や「P180」といった懐かしい名前でケースを展開していた。狙いは明らかに中年層。しかし内容としては、Corsairの5000DとFluxの折衷という印象で、まだ様子見といったところ。Lian Li O11系のクローンが市場を埋め尽くし、静音性を優先した“窒息ケース”は選択肢から消えつつある。3.5インチHDDを3台積めるケースが、いまやフルタワーにしか存在しない時点で、個人的には魅力を感じにくくなっている。Fractal DesignのDefineシリーズが残した呪縛のようだ。

周辺機器で印象的だったのは、FL-esportsのキーボード。
初めて触ったが、価格と質感のバランスが良く、ゲーム用途にも十分。IQUNIX EZ80は、もし店舗展開されれば、PCMKを超える可能性すらあると感じた。

wootingは若い世代に熱狂的に支持されており、ブースには10代の来場者が集中していた。マーケティングが完全にネットに特化しており、そのリーチ力には感心した。

DOOM: Dark Agesは会場内で何度も展示されていた。
100インチを超えるLEDビジョンに流されていた映像は、悪魔を2つに分けるようなショッキングな映像を流し、場内の空気もまた独特だった。


台湾の町並みについて記しておく。

台湾は初めて海外に行く日本人でも、大きな困難はない。むしろ、差がなさすぎて戸惑うかもしれない。

かつてのように「為替が有利だから買い物に出かける場所」という感覚は、もう通用しない。むしろ物価は、日本と同等か、それ以上だ。屋台料理も安いという印象が残っているかもしれないが、いまでは一品500円ほど。お茶一杯が150円前後と、日本のファストフードとさほど変わらない。

日本が相対的に貧しくなっている現実を、肌で実感する。

タイへの旅行も視野に入れているが、かつては日本の1/5ほどと記憶していた物価も、今ではほとんど差がない。日本円はもはや「価値のある通貨」ではなく、外貨に対する緩衝材のような、リスク分散の一部でしかなくなってきている。

セブンイレブンでは、日本の商品が7割ほど並んでいた。異国の文化を味わいたい人間にとっては、やや拍子抜けする光景だ。「日本の味がないからホームシックになる」というような事態はまず起きない。地元のちょっと高めの価格帯のスーパーも同様で、醤油の棚ひとつ取っても、大型のイオンに匹敵する品揃えだった。「地産地消」というよりは、日本の興味深いものが安くて買っている――そんな実用感がある。

ただし、文化の骨格は中国語圏にありながら、明らかに独立している。会話の調子、儀礼の所作、イベントの構成。どれを取っても、「中国」とは別の道を歩んでいるのがわかる。

地下鉄に乗っていると、台湾の都市としての規模感がじわじわと伝わってくる。都市を“島”に構築するというのは、どれだけの時間と意志を要したのか。タワーマンションを一棟建てて「都市文化の象徴」などと語る日本の風潮が、どこか滑稽に思えた。

気候は日本よりもさらに湿潤で、カビや微生物の存在感が濃い。

空港に降り立った瞬間から、うっすらと漂う土と湿気の匂いがある。ただの土臭さではなく、泥とカビが混ざったような独特の匂いだ。植物の繁殖力が高く、下水処理も含めて街の清潔さは保たれているものの、自然の勢いに完全には勝てていない。それが「異国にいる」という感覚を否応なく呼び起こす。

この匂いは、日本のそれとは異なる。もしかしたら沖縄に近いのかもしれないが、はっきりとは言い切れない。

ただ確かに、日本とは違う空気が、ここにはある。


台湾から戻って以来、どうにも調子が狂っている。何かを置き忘れたまま帰ってきたような感覚が、ずっと残っている。

日本に近い場所だからこそ、かえって違和が際立つのかもしれない。思った以上に、距離の近さは「戻る」ことを難しくさせる。


台湾で買った湿布には、どこか民間療法めいた雰囲気があった。パッケージの印象も独特で、「本当に大丈夫か?」と思わせる素朴さがある。調べてみると、主成分は漢方。「ボルタレンのような成分は含まれていないので、肝臓を傷めない」と堂々と書かれていた。なるほど、そうしたニーズがあるのだろう。

サロンパスの正規品も売られていたが、その隣には「一條根」「金牌」など、どこか懐かしく、異国のにおいを纏った湿布が並んでいた。西洋医学がまだ浸透しきっていないというよりも、別の医学体系が、しっかりと根を張っていることを感じさせた。

こういうものこそが、旅の記憶として妙に残る。飛行機ではなく、湿布の匂いが、旅先の空気を思い出させることがある。


また、秋葉原のはずれにある病院に行くことになりそうだ。前回は盛夏、今回は健康診断の結果に驚かされ、精密検査を勧められて通うことになった。

十年ほど前なら、「余った皮がどうの」「二重に整形できる」など、たわいのない言葉が並んでいた。だが、年齢を重ねてくると、そうした言葉もどこか生々しく、無邪気に笑えなくなってくる。若者には冗談が通じず、こちらも軽口を慎むようになる。

診断結果に「脳に怪我あり」などと書かれていれば、誰だって身構える。覚えのないことでも、数値と所見は正確なのだろう。とはいえ、”death”に関わる単語が前触れもなく出てくるのは、心臓に良くない。

近所の医院はどれも、昔ながらの下町の“ヤブ”という風情が抜けない。通う場所が限られていると、あらためて思う。いざという時に頼れる医療機関がある街に住みたい――そんな思いが、じわりと胸に残った。


台湾から戻って以来、ひとりだけ三週間近く、小忙しい日々が続いていた。その忙しさが原因であることは、自分でも分かっていた。けれど、それを認めてしまうと動けなくなりそうで、心を封じて働き続けていた。

そして土曜日。

張りつめていた何かが切れたように、疲れが一気に噴き出した。熱は39度。ここ数年で見たことのない数値だった。

なんとか病院へ向かったが、体温計の数字を見た瞬間、気力が底をついた。そのまま帰宅し、布団に沈み込むしかなかった。


2025.06.08 / Category : 小噺