オブジェクト配置

仕事上、Vegas proを10年ぶりに使った。10年以上前の使いづらさのまま最新バージョンになっているようだ。

22というバージョンの体験版を使ったが日本語すらまともに入っていない。入るのかもしれないが過去バージョンのデータ継承もまともにやらなくなったのだろう。使い方はYoutubeでなんとなく思い出しながら数時間で簡単な動画を仕上げることができた。

基本、レイヤー配置とかカットみたいな作業しかないなら10分ぐらいのレクチャーで使える奴なので紙芝居ぐらいならすぐに出来てとても楽なのだけど、縮尺とかが独自すぎて面倒くさい仕様だったことを思い出す。しかもここまでバージョンアップしても丸や四角のオブジェクト配置すらままならない事が分かって完全なやる気が失った。ベクターデータの配置みたいなものもあることはあるけれど、直感的ではないし、複数のオブジェクトを一つずつレイヤーで配置するような作りになっているので、プロジェクト全体のタイムラインが即座に見づらくなる。

言い換えるとパワポ感覚で使える機能が全く無いので単なる素材切り用途ででしか使い道が無い。救いがあるとしたらpremierとかの他のソフトで使えるプロジェクト形式に変換するのだけど、それがもし使いづらい形式に改ざんされているようならもう触らない方がいいぐらいだろう。

とりあえず、次回辺りから動画を作るならPremierProを使いたい。そんなに変な仕様じゃ無かったはずだ。昔はマスコレを買っていたけれど、全然使わないしで今はphotoshopしか契約しなくなってしまった。秘蔵の海原雄山コレクションを手入れするのにはphotoshopの方がちょうど良いからだ。Affinityも使い始めたが、なんとなく設定を記憶してくれなかったり、いちいち調整を自分で手を入れないと使い物になっていかない感じが面倒くさい。


最近は昔を思い出すようにクーロン黒沢の動画を見るようになった。温度感といい、淡々とアングラなのかそうでもないフラットな視点で語る動画とかはとても良い。繰り出されるエピソードはとんでもなくエグいものなので、万人に勧めたら寝込むような人が出るのは必至なのだが。DJ北林とかミスターPBXとか覆面で誰かのペンネームかと思ったら本人が登場したりしてアビ教官、キョーフのズンドコになるかと思ったら意外とヌルっとしている温度感だった。

そこから丸山ゴンザレス、村田らむといったライターの答え合わせ動画を見るようになっているが、当時はどんな視線でバックパッカーというのが見られていたのかというのを知ることが出来た。ろくなもんじゃねえな(小並感)

歳を重ねると別世界の出来事だった思ってたものが、地続きじゃねえかという不安や恐怖を覚えるようになってそりゃ戦争とセックスは無くならない訳だと覚えを得る。


老化について記録する。

若い人にも伝わる老化というのが何なんだろうと考えながらと取りまとめる。今までに遭遇したことないバグだらけの状態になることが多い。

・風呂に入って体を温めてから寝ると初めて疲れが取れる。回復までのステップが長すぎる

・腹が減ると満腹が同時に来る。腹が減ったからとみかん1個食うだけでもう食いたくないという気分がやってくる

・寝不足になると吐き気が止まらない

・食事をして満腹になるけれど、食事をしたという満足感が全く無い。

・気がつくととても臭くなる。これは中年特有かもしれないが、手入れしてないとなんだか悪い匂いがするだろうという警戒心がまとわりついてくる。


最近は手軽にゲームをするという環境が全くない。

Destiny2を気軽に起動してプレイできるゲーミングPCならいいのだけど、どれぐらいのスペックが必要なのか検討がつかない。


大阪万博に行ってきた。

ミャクミャクの人形を買ってきたので、個人的な思い出としてはこれで十分。会場では声に反応する人形が売ってなかったので残念だった。レネの人形も買おうかと思ったが、チェコのパビリオンだけで売ってなく30cmぐらいの1サイズだけ9000円で販売されていた。もう少し小さいサイズがあれば買っていたけれど、持ち帰りが大変になるので諦めた。移動に余裕がある人たちに買っていってもらいたい。

万博のアプリでしか予約できない、というのを知ったけれど基本的に予約状況を確認しつつ、予約をいれるのがクッソ煩雑で腹がたった。何が空いているのか1ページで掌握できないし、予約できないと最初のページにまで戻されるので、予約しようという気持ちが萎えてくる。なので散歩して回ったのが印象にしかない。おそらくだが、気の抜けた時期になるだろう9月頃が一番楽しい時期になると思う。並ばずに色々なところに入って見学できるほうが経験としては期待するものだから、今のような予約だ何だで全く入れる空気感の無い今は、それはそれという感じだった。

閉会したら取り壊されるだろう輪っかに登り、内側のパビリオンよりを見渡したものの全貌が見えず、むしろ高い建物がまったくない入口ゲート側の展望のほうが良かったという感想となった。

何かを見聞きすることに対しては高えなあという感想だが、マレーシアやスペインのダンスイベントなんかは並ばずに見える賑やかものだったので、そっちのほうがずっと良かった。北欧のパビリオンを見たけれど、暗い部屋でパワポ動画を見てムーミングッズを買え、という流れだった。解説があれば違うのかと思ったが暗い部屋で待たされても何もなかったため、数分で出てきてしまった。

多分、デザイン建築物を見て回りたいひとだったら楽しいと思う。子供連れとかだったら、ひたすら大変だろうなあという感想になる。


実家に帰る。

静かに狂っていく、という単語を噛みしめる。狂っていくというのは、錯乱するとかせん妄みたいなことではなくて、今まで噛み合っていた歯車が合わなくなっていく、調子が狂うというようなニュアンスだ。親子関係には違いはないのだけど、親が徐々に知らない人になっていくという感覚になる。

過去の記憶も曖昧で、最近と昔の出来事の境目が曖昧になっていく様子を見ていると肉親でさえもどんどん、関係性がない他人へと馴染んでいくように感じてしまった。自分のことも断片的に覚えていたり、過去の知らないことなども今頃になって初めて知るということもあるのだけれど、なんだか怪しい感じになっている。

母親が赤ん坊だったおれに障がいを持たせてしまったんじゃないかと懺悔することとして、息子が誤って階段から頭からコケたという話と認識していたが、違っていた。赤子だったおれが子ども椅子から足を出して、テーブルを蹴飛ばし、ひっくり返って頭から落ちていったという話だった。なんとなく頭の形の話については、自分が赤ん坊を見きれなかったことに対してなんとなくバツの悪そうな感じで話していたので、本当かもしれないが最近のことを覚えていなかったりとなんとなく親も記憶に関しては徐々に断捨離が始まっているかもしれない。そこが、なんとなく少しずつ親子の時の関係性や記憶もすこしずつこの世から消えていっているような感じがして、しみじみと悲しい思いになった。

2025.05.07 / Category : 小噺