バキ童チャンネルをかなり見ていた。
基本的に下ネタが多く、見ている人に何かを提供している感がある動画はそんなに面白いところが無い。
しかし、レンタルぶさいくを救出しにフィリピンへ行く回は良かった。救出とは言うもののシェアハウスでともに住んでいた旧友を訪ねる、同窓会のような動画で楽しい小競り合いが延々と繰り返されている内容だ。
人をバカにするときも語彙の多さだったり、険悪な空気を各登場人物たちの表情の豊かさでジョークへと変えていくスキルだったり、金勘定だけにはとどまらない別の人間関係だったりとその模様が見ていてもサッパリとしていて気持ちがいい。
ただ、挿入されている音楽が気持ち悪かったり緊張感を出す演出なのが動画全体の雰囲気とはマッチしていなかった感があるのは気になった。
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物が多いと欠乏症に陥る。
物があるから準備がし易いというのではなくて、片付けなどのしがらみとか関わる時間が多くなるということからドンドンと精神的な余裕がなくなっていく。
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効率を考えて行動するというのはとてもいいのだけど、一方で効率を追求して得た利益というのはコストに対して最大化させるというのは限界があるというのを察知し始める。
無駄と切り捨てていたものが本当に欲しかったものの中に含まれていた喪失感は本当に心が痛む。
安い酒を出してくれる飲み屋に行きたいのではなくて、居心地の良い所にて包まれていたいというのが本当の欲求だ。ただ、それが金を出せばあるという嘘を吹聴されて踊らされてただけだった。
自分が本当に心地よいという所は酒の値段に比例しないし、人が無責任に指図して付けた点数とも全く関係ない。
そして、100点をマークする理想は現実にない。
人生の歩み方について少しずつ考えていく。
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Stable diffusionを使って、プロンプトを考えるというのをやっているがそれ以上の深い所に入るための設定方法などを通じてAIの概念を考えていく。
SDをいじっていると、ある程度最適化されたインプットとアウトプットの組み合わせが合って、人間がハブとしてつなぐような動きをしてコントロールすることが多い。これが更に発展するとハブ自体にAIが動いて人間の変わりになるというのがなんとなく分かってきた。
そうなると考えていく先としては「傾向性のある大量のデータ群」が重要になるのかなと思う。
この辺りは音楽だと直接演奏した方が良い、というのとDTMでサンプリングを使って打ち込む職人の力みたいな過去の戦いに近いタイムラインになるのかなと思う。
ただし、データが多くなった所で「使える」データは案外少ないだろうし、そういうキュレーションみたいなものは人間が正解を出さないと成立しないものだとは思う。
そういうのだとエンジニアリングをしっかりと勉強している英語圏は強く、日本語圏だと劣化コピーしか使えない状況なのかもしれない。
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