あけまして

おめで玉金


新年早々、Netflixをいじっていた小学生の甥っ子が何を思ったのか、大人のアカウントのまま『イカゲーム』を見始めてしまい、あわててリモコンを取り上げて再生を止めた。危ない、実に危ない。すぐに子供用アカウントに戻してアニメなどがすぐ見れるようにした。

思い出すのは、自分が小学生の頃、レンタルビデオ店に通ってはホラー映画のジャケットばかり見てしまい、その夜に悪夢にうなされた体験の数々。ああいう記憶を、甥にまで味わわせてはいけないと思った。

特に『オールナイトロング』のパッケージは、今振り返っても刺激が強すぎた。見たわけでもないのに、ただパッケージを見ただけで、しばらく頭から離れなかった。ああいうのは、まだ子どもが触れなくていい世界だ。


ものは試しにと思って、クリフトンストレングスのテストを受けてみた。

が、日本語訳のひどさに唖然とした。選択肢の日本語も不正確で、内容が粗雑すぎて見ていられないレベルだった。あれで正確な効果測定ができるとは到底思えない。

英語で受けたほうが、文脈を理解したうえで判断ができたかもしれないとは思う。けれど、そもそも前提となる文化的背景や文脈がどこの国基準なのかも不透明なので、正直なところ、それもまた難しい。少なくとも日本語圏の文化ではあり得ないようなシチュエーションを前提にしているのでアメリカだけでしか通用できないものだというのが分かった。

企業があの結果を見て、どんな采配を下せるのかは不明。少なくとも、信頼に足るロジックのようには感じられなかった。

英語版のテスト結果と日本語訳を見比べてみたが、「意訳」というレベルにすら届いていない、ただの雑な直訳が並んでいた。あれではとても実用に足るものとは言えない。残念ながら、使い物にならないというのが正直な感想だ。


RebekahのこのMixがとても良かった。なんだろう、ロッテルダムテクノを思い出す。

とにかく飽きない、というのもあるけれど、聴けば聴くほど、昔から溜まっていた淀み──DJの楽しさや構成、プレイの方法論のようなものが、少しずつ氷解していくような感覚がある。

ふと、「自分にはSeratoよりTraktorの方が合っていたのでは?」という気づきさえ出てきた。たった1週間ほどの変化なのに、クラブミュージックに対する認識が一気に開けた感覚がある。あれだけあったフィーリングの壁や、「クラブミュージックはちょっと……」という妙な忌避感、拒否感が明らかに薄れてきた。思えば20年前にも、単発のトラックや印象的なプレイには惹かれていたのに、人によっては「これ無理」となる理由がうまく説明できなかった。今では、その感覚の正体が一瞬でわかるようになった気がする。

今のうちに、自分の中で整理された基本的なスキルや考え方を記録しておく(どうせそのうち忘れるので、主観に基づいた備忘録として):

DJプレイにおける自分の基本原則(主観)

  • 再生マシーンにならない。
     目指すのは、自分と聴いている人がともに楽しめるプレイ。飽きさせたら、そこで終わり。
  • 楽しませることが最優先なら、極端な話、金を積んで巨乳で素っ裸の女に踊らせておけばいい話。
     じゃあ自分の価値はどこにあるのか?を考える。仲間がいなければ成立しないような設計に甘えない。
  • 1トラックあたり、可能であればCueポイントを8箇所設ける。
     展開の可能性を広げること。展開して雰囲気が壊れるならその曲はボツ。
  • 他人の曲との混ぜ合わせで悪目立ちするものもボツ。
     自作曲であれ、ミックスに耐えられなければ採用しない。
  • 経路の異なる5曲とミックスしても、お互いに魅力が引き出されないなら、それもボツ。
  • “アンセム枠”は劇薬。
     プレイ全体を腐らせる危険がある。単調な印象が続いたときのスパイス程度で。多用しない。
  • 最終的な形をイメージしてから構成する。
     再生マシーンのようなプレイでは、生演奏に勝てない。沸かせたいなら構成とパフォーマンス両方を持つべき。
  • ボツ判定は1分以内。
     1日10パターン程度、32小節ループを量産できる体制を目指す。
     インスピレーションが降ってくるのを待つのではなく、短時間で高品質な模倣の技法を確立する方が現実的。

今のところ、こういった考えが自分の中での軸になりつつある。

忘れたくないのは、「気持ちいい」を狙う前に、まず「つまらなくないか」を徹底して潰すこと。そこを乗り越えないと、次のステップには進めない気がしている。


SDXLの illustrious を使い始めた。

これまで使っていた Pony V6 も、SD1.5相当のLoRAがだいぶ充実してきていたが、どうにも限界を感じ始めていた。特にネックになっていたのがプロンプトの煩雑さ。たとえば「shirt」「dress」「clothes」のような類語をいくつ挙げても、狙ったビジュアルがまったく出てこないことが珍しくなかった。類語の選定が命取りになる上に、10語ほど並べても無反応なことすらある。CheckpointとLoRAの組み合わせを試行錯誤しても、なお欲しい絵にたどり着かない──そんな疲弊感が、乗り換えを考える大きな要因になった。

Ponyに関しては、LoRAライブラリを“ある程度の網羅性”で揃えるには、結局1年近くかかるような印象だ。直近では NoobAI のように新しい試みも出てきてはいるが、結局のところLoRA必須な構造は変わっておらず、Pony環境はもうしばらく(少なくとも1年程度)は“継続前提”のフレームワークだと感じている。

一方で illustrious は、第一印象として「素直」だった。PonyのようにLoRAを多段で積まなくても、それなりに思った絵が出てくる。SDXL環境では、逆に「同じような絵柄に偏りやすい」という別の課題もあるが、LoRAよりCheckpointの方向性で全体の絵の出力傾向が決まるという感覚がある。

今のところ、LoRA疲れとプロンプトの言語選定疲れを抱えた状態からすると、illustrious の挙動はかなりストレスが少なく、快適だと感じている。

“手がかからないのに、それなりに応えてくれる”──そんな印象が強い。


検索エンジンの代わりとしてChatGPTを試してみたが、正直、20年前の企業情報すらろくに拾えないことが多く、「AIに食わせる情報にどれだけ“クソ”を混ぜ込んだかで勝敗が決まる時代」に突入しつつあるなという感触を得た。

この先数年間は、データベースの中に、特定の国家や宗教、企業に都合の良い“架空の情報”を混ぜ込んで信じ込ませた者が勝つ──そんな情報戦のようなものが繰り広げられるのだろう。

もちろん、ファクトチェックが前提となったAIが登場すれば話は別だが、宣伝やデマ、ステルスマーケティングのような情報を“自動的にすべて遮断する”仕組みが実用レベルに達するまで、あと何年かかるのかは見通せない。

本来なら、AIには“裏取り”のような悪魔の証明に挑んで、それを論理でねじ伏せてほしいと期待していた。けれど、今のところは、そこにたどり着くにはまだまだ遠いな──そんな感想を抱いた。


年末に買ったハンディブレンダーを使って、レシピなしで鶏白湯スープを作ってみようとした。
「軟骨を砕けば天下一品みたいになるのでは?」と踏んで試してみたものの、調子に乗って鶏ガラまで粉砕した結果、出来上がったのはまずい、鶏白湯とはまったくの別物だった。

後になってクックパッドをのぞいてみたら、鶏出汁でじゃがいものポタージュを作って「鶏白湯」と呼んでいるレシピを発見。
どうやら、そもそも軟骨すら要らなかったらしい。

思っていたよりずっと簡単だった。


AIで画像生成をやりすぎたせいか、現実の人間を見ていてもふとした瞬間に混乱することがある。目の前の人の手を見て、「さっき5本あったよな…?」と一度確認したはずなのに、「本当に5本で合ってるか…?」と妙な不安に襲われる。

現実世界ですべての人に対して指の本数を疑うようになった時点で、ちょっと休んだ方がいいのかもしれない。

2025.01.24 / Category : 小噺