追い込まれて休日出勤。

複数の通信規格の勉強とかプログラミング言語やら回路設計とその検証を同時並行して進めていると目眩がする。組み込み系の基礎教育は受けたけれど、荒波としか考えられず。
さすがに素っ裸で会社に行くと、拭きの甘い生尻を自分の椅子に擦り付けるのは気が引けるということで洗濯をしてから出かける予定にした。

正直、同時にやることが多すぎて日中の仕事でリソースが足りずに静かにパニックに陥ってボーっとしていた部分もある。
日本語のマニュアルを見ていると目的が曖昧すぎて本当にイライラするというのが分かってきた。M社のマニュアルとか、昔のゲームブックみたいにいろんなページに飛ばされたので「たらい回しジャパンかここは!!」と思って内容が全く入ってこなかった。

間口を広く、という解釈が「クソリプにも対応していきます」みたいな所を重要視して瞑想していったんだろうなと思った。
あとは、「便利ツールみたいなもので楽しないで、苦労するのが重要です」みたいな精神も感じられた。金払って徒労に終わることをしたいとバカじゃないかと思ったりもした。

一回そこから離れて英語圏で情報を集めると途端にクソみたいに簡単に仕事が楽になる文献やらリソースがあって、何なんだと思う。
今やっていることが専門的な事だから、自分でツール含めて開発するのが当たり前みたいなスタイルでやってるけど、情報共有やら交流、発達とかそういうのが全くなかったままクソリプに流されていったんだろうなと思うような気がしてならない。
そりゃ日本の技術系のアレコレは海外の規格やらコンソーシアムに負けるよなとは思った。

30年前の知識と常識で止まっている人の言動を見ていると、やっぱり考える事が増えてくる。
パニックになってから一回寝て、30分程度youtubeで英語の動画を漁ってググったら、半日ぐらいの作業量が圧縮出来た。すげえ。2022年。

そして、若手が勉強する立場にインタビューをして、どのような気持ちになっているのかを学ぶ。
視点やら、考え方なども自分だけでは限界なので頭がパンパンになりつつも、人の理解を超えたスピードや単語を使いだして煙に巻くような状態になっていないかなども聞いている。


別の日に総決戦みたいな勢いで開発をしていく。
説明書に書いている通りにならないとか、地獄だなと思う。箱根細工のような面倒くさいロジックを仮説から埋めていって、前に進めていく。
今日はハロウィンだ。
渋谷ではコロナ騒ぎもだいぶ落ち着いて、大盛況になっているという報道を少しだけ見た。
この日に大混雑の渋谷に行って何をしたいのだろう?と考えた時点でもう違う価値観なのだとつくづく感じる。彼らは月日の流れで1年に1度しか無い日に、世界でも指折りで活気がある街の空気を吸いたいという、エネルギーを浴びて更に自分のエネルギーを発散させるような生き方をしたいのかもしれない。
家以外に居心地のいい場所を作らなくなってしまったので、どこに出かけるで迷う。


久しぶりに大阪に行った。
梅田の地下がドンドン記憶から変わっていくので何も覚えていない状態になる。御堂筋線の改札中だけが記憶に残り続ける。
改札を出た瞬間に自分が記憶喪失になったかのような不思議な気分になる。地上を歩く限りなんにも変わらないような雰囲気なのに、改札から出ると知らない街と知っている風景がゴッチャになる所が混乱を更に加速させる。
何かのゲームの後半で出てきたような、それまでのステージにあったものがシームレスに混ざりあった、あの気持ちの悪い風景に見えてくる。

新幹線で「殴って育てるタイプの昭和ではよく見かけたクソガキ」というのを久しぶりに見た。
昨今、子供の知性がうなぎのぼりで下手したら大人よりも礼儀がしっかりしていることが多いなと思っていたが、親に甘えつつも小馬鹿にし、大声で他罰的かつ利己的な行動だけしつづけるクソガキという存在が2匹もいたのだ。
近くで騒ぎを我慢している間、ニュースなどで報道される怒鳴り付ける人の気持ちにピッタリと寄りそっていた。やれサンドイッチが食いたいけれど、食べたいものが一つだけで残りの殆どをもう一匹に押し付けようと大声で小競り合いをしていたのが丸聞こえだ。叩いたのは自分の親のせいだと騒ぎ立てて、窓際の席も奪い合ってと終始、殴りつけるジャストタイミングはここだ!!という所で何か滾るものを感じていた。
新幹線に乗っている間はノンストップで騒ぎ続けていたのだから、こちらも精神的に参ってしまい、過去に忘れていた子供嫌いの自分の一面がムクムクと呼び覚まされてしまっていた。

当然、頭の中でこれがリフレインされていた
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=juyGxGJhx-E[/youtube]

なんか、結婚して子供を育てるというのがドンドンと遠くなって行ってるのを感じる。
親に幸あれ。
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足りてない人間であることは分かっていたのだけれど、足切りみたいな門を閉ざす音がかすかに、しっかりと聞こえた。
腹は括っていたけれど、今まで見えていた退路と進路が無くなるのはなんとも寂しくなる。可能性は無限ではなく、歳を取るごとに狭まっていく。
だったら走りきった先にある幸せを1日でも早く見つけるしかない。

2022.11.04 / Category : 小噺