珍々亭

最近、太田胃散の錠剤を常用するようになってしまった。

胃の痛みや胸焼けがひどいときに飲むと、だいたい30分くらいでゲップが出て、そのあとスッと落ち着く。効いてるな、という実感がある場面が本当に多い。効能がわかりやすいぶん、つい頼ってしまう。

最近よく見る医者系YouTube動画、最終的には自作サプリの販売に誘導しているケースが多くて、なかなかEvilだなと思う。ただ、特定の製品ごとの違いをわかりやすく区分けしてくれるだけなら、害は少ないのでそこは割り切って見ている。

一方で驚いたのは、薬剤師系YouTuberへの信頼の無さだ。もっと知識で的確に斬ってくれるのかと思いきや、やたらバズりたい欲や自己顕示欲が前面に出ていて、正直「なんなんだアレは」と言いたくなる。

情報の質より目立つこと優先、みたいな空気が強すぎて、専門職としての信頼感がどんどん揺らいでいくのを感じる。


最近、YouTubeでおすすめに出てきたIllidianceというロックバンドを聴いてみたら、これがかなり好みだった。

何よりクリーンボイスが良くて、それだけでちょっと贔屓目に見てしまう。サウンドもまとまりがあって、今の気分にちょうどハマっている感じがある。これはしばらく聴き続けそうだ。


自分が子どもだった頃の記憶を思い出す。

小学校の門の前に、ファミコンのカセットを見せびらかしているおばさんがいた。30本ほどのソフトをアタッシュケースのようなものに詰めて、「塾に入れば好きなゲームを1本あげる」という話をしていた。

当時の自分は、そんなやり方が“商売”だなんて知らなかった。ただ純粋に「塾に入りたい」と親に言ったら、即座に却下されたのを覚えている。

いま振り返ると、20万円ほど使ってファミコンソフトを買い集め、それを餌に塾の勧誘をしていたのだとしたら、倫理的にはさておき、かなり効率的な宣伝だったのかもしれない。よくわからないポスティングに金をかけるより、ずっと直接的で、効果はあった気がする。法的にはどうか分からないが。

もっとも、あのまま塾に入れたとしても、ファミコンカセットが本当にもらえたかどうかは怪しい。そもそも塾自体が実在していたかどうかもあやしい。なんとなく、あの場限りの話だったのではないかと思う。

そういえば、あの小学校の門の前には、他にも妙な手合いがよく来ていた。町内の夏祭りになると、誰とも知らない中年が突然出店を開き、折ると光るネオンブレスレットなんかを売っていたものだ。

今の時代では、身元の分からない人間が学校の前に立つことなんてまず許されない。だから、ああいう光景を目にすることももうないのだろう。

けれど、人の欲や商売のアイデア、そして奇妙な距離感は、形を変えてまたどこかで現れてくる。そう思うと、なんとも果てしない気持ちになる。


GMKのキーキャップ、正直すごいなと思った。

  • 指の腹がザラザラと触れるけれど、しっかり指紋に食い込むような粒度になっていて、まったく滑らない。
  • ABS素材なのに、キーの縁に当たっても角が丸く、痛くならない。
  • そしてABSなのに、思ったほどテカらない。

3つ目についてはまだそれほど使い込んでいないので、あくまで推測ではあるけれど、少なくともFilcoの標準キーキャップよりは明らかに耐久性が高そうだ。価格に見合う理由が、手に触れた瞬間から伝わってくる。


油そばが食べたい。

あの、旨さの幅が狭い、いかにも“質の低い店屋物”という味が恋しくなるときがある。

思い返せば20年ほど前、一人暮らしを始めた頃。ラーメン屋を開拓するのがちょっとした趣味になっていた時期に、油そばというジャンルが“ポテンヒット”のような感じで小流行していた。近所にもそれ系の店があって、何となく入ってみたのだが──どんな調味料をかけても味に深みが出ない、あの妙な一体感のなさに驚かされた。

他の店にも何軒か足を運んだが、どこも似たような味。結果、「なんて美味くない食べ物なんだ」と呆れて、それっきりだった。

それでも、時が経ってふと、あの“微妙さ”ごと懐かしくなり、もう一度食べてみたくなった。けれど、今住んでいる下町にはそういった店が見当たらず、探すにはネットを頼るしかない。あの味、まだどこかに残っているだろうか。再会するには、あの屋号──モラル的にどうなんだ?と思うような店名も避けては通れない。でも、それすら含めて、また食べてみたい気がしている。


自宅のAMD機をVMwareで使っているけれど、正直デカすぎてだるいなあと感じている。

個人利用だからスペックに不満はまったくない。けれど、単なる開発環境として使うだけなら、ここまでの性能は正直いらない。もっと小さいサーバーが欲しくなる。

昔だったら、そう思った瞬間にノートPCを買いに走っていた。でもさすがに最近は、ノートを買いすぎて処分すら面倒になってきた。物欲よりも、形のないもの——使い勝手とか構成の美しさとか、そういう欲求のほうがだんだん大きくなってきている気がする。

2025.04.05 / Category : 小噺