初売り

AppleでMBPでも買おうかと考えたが、結局やめた。
去年と同じ結論だ。去年はMacBook Airを検討していた。

自分の行動パターンを振り返ると、こうした買い物は、手に入れた時点で満足してしまい、その先につながらないことが多い。だからMBPは、「それがないと効率が上がらない」という習慣が先にできてから、セールかどうかに関係なく買うべき道具だと思っている。

口実としては、Ableton Liveの環境をきちんと組み直す、という考えもあった。
ただ、家の中にはWindows機がすでに持て余すほどある。まずはそれらでトラックを作るだけでもいいのではないか、という考えがふと浮かび、計画はそこで止まった。

FL Studioは、見た目が変わってからどうも手になじまない。
とはいえ、覚悟さえ決まれば、ミックスで使ってきたCubaseやStudio One、素材作り用に購入していたLiveへ移行する準備自体は、ほぼ整っている。

足りないのは環境ではない。時間と、それを回すための精神的な余裕だ。
だからまずは、今ある環境を不満なく使えるところまで詰める。それで問題はない。
そうしているうちに、世間の流れからは、さらに外れていっている。


これまでStable DiffusionはA1111を中心に使ってきたが、いよいよComfyUIへ本格的に移行しようと思い、練習を始めた。これまでComfyUIをほぼ無視していた理由は単純で、Res.fixとAdetailerが使えなかったからだ。

ただ最近は、新しく出てくるcheckpointやモデルの多くがComfyUI前提になりつつある。新年を区切りに、ここは避けて通れないと判断した。

振り返ると、EasyWanがリリースされた頃に一度だけComfyUIを触っている。
しかし当時は動画生成のクオリティが低く、継続して使おうというモチベーションが湧かなかった。結果として、またA1111に戻っていた。それでも今は、あまりにも多くのものがComfyUI前提になりすぎている。テンプレートに頼らず、仕組みそのものを理解しようという意図で、あらためて触り始めた。

驚いたのは、A1111で生成した画像をそのままComfyUIに投げるだけで、当時の生成ワークフローが読み出せることだった。これでアップスケールを含む静止画の基本的な流れは理解できた。ただし、A1111でAdetailerを使って調整していた画像は、同じようには再現できない。そのまま生成すると結果が大きく変わる。danbooru系の用語は理解しているつもりだが、ポーズや細部の解釈にズレが出る。

新しいモデルほど自然言語の解釈精度が高いという話もあり、これまで蓄積してきた「データベース」と呼んでいるテキストファイル群も、整理し直さないと破綻しそうだ。reforge基準で生成を続けていたせいか、ComfyUIの生成時間はかなり長く感じる。

現状、ある程度環境を作り込めば移行は可能そうだが、coreノード中心で構成しないと、新しいモデルへの対応が滞りやすい。環境設計そのものをきちんと考えないと、スムーズな移行は難しそうだ。

これまではプロンプトだけに集中していればよかったが、ComfyUIではワークフロー自体を延々と練る使い方になる。リソース管理を誤ると、生成物の品質管理が下がりそうな気配もある。

ZITまでは触れるようになったものの、現時点ではSDXLが出た直後の素体のような段階だ。
単に文章でプロンプトを書けば、ある程度は認識される、というところが今の到達点だと思う。

生成されたものを細かくいじっていきたい立場としては、しばらくはイラスト系モデルで踏ん張るしかなさそうだ。


台湾の弁当にやたら入っていた清炒高麗菜の動画を見て、レシピを覚えた。

中身は拍子抜けするほど単純で、桜えび入りのキャベツのにんにく炒めだ。味付けも、ほんだしと塩が基本。肉は入らない。にんにくの量と塩気をどう振るかで、立ち位置が変わる。おかずにもなるし、主菜の横に置く脇役にもなる。台湾の店だと全体に薄味で、弁当になると少しだけ濃くなる。にんにくの香りも、通しで見ると意外と控えめだ。

曲者なのは人参で、彩り程度にしか使わない。1/3本も減らない量で、冷蔵庫の計画を静かに狂わせてくる。

知ったきっかけは、台湾限定のホタテほんだしの箱裏に載っていたレシピだった。これだけで食事が成立するのか、という点にはまだ議論の余地がある。ただ、弁当にレタスを一枚敷くよりは食物繊維が取れそうだし、生野菜よりは多少衛生的だろう、という勝ち筋は思いつく。

そういう立ち位置の料理だ。


なぜマンゴーもち米(カオマムアン)を普通に食べられたのか、少し整理してみた。

よく考えると、自分はいちご入り豆大福を何の疑いもなく食べている。つまり、塩気のある米と果物の組み合わせ自体は、もともと平気だった。

「米と果物なんて合わない」と顔をしかめる人を見ると、どちらかといえば自分もそちら側だと思っていた。ところが実際に食べてみると、特に引っかかるところもなく、平然と平らげてしまった。思い込みが一つ外れただけで、少し混乱した。そして普通に、うまかった。


環境音によって集中力を削がれることが多く、静かな場所で作業したいという気持ちが強くなっている。ブラウンノイズなど、いくつか試してはみた。だが「快適な音」と言われるものでも、耳に何かが入っている感覚が残る。音が鳴っている、という事実そのものが気になってしまう。

音楽で集中する、というやり方が合っていないのかもしれない。作業に入りたい気分のときほど、余計な刺激を増やしたくない。そうなると、黙々と作業できる場所は自宅に限られてくる。集中できてはいるが、あまり良い傾向だとは思っていない。


自宅のダイニングテーブルを買い替えたいが、どうにも決めきれずにいる。

ネットを見れば、デザインの良いテーブルはいくらでも並んでいる。ただ、それらを「実際に買うもの」として見ると、途端に現実味がなくなる。家具を頻繁に買う習慣がないせいか、画面の中の優れたデザインは、どこか現実に存在しないものとして処理してしまう。その結果、「家具を買う」という行為そのものから、思考が外れてしまう。

無印良品やニトリで済ませるのが無難、という判断は頭では分かっている。だが、使い勝手や生活の中での扱われ方について語られている情報が少なく、納得して選ぶ材料がない。デザインではなく、使い続ける前提で家具を語る言葉が見当たらない。そこが一番、困っている点だ。


Gregoryのバックパックがすっかりヘタってしまった。
荷物を入れると全体が丸くなり、ナップザックのような形になる。底に詰めた荷物が体側に膨らみ、そのせいで腰を痛めるようになった。そこで、新しいバックパックを買うことにした。

当初は、バリスティックナイロンの丈夫さばかりを重視していた。型崩れする、という観点までは意識が及んでいなかった。表地のナイロン自体は、経年による傷こそあれ、今も問題はない。だが背当て部分は全体的にクタクタで、自立しない。バッグというより、何か柔らかい袋のような状態になってしまった。3年程度でここまでくるとは思っていなかった。

この問題を解決しようと、年末に上野まで出てPorterを見に行こうとした。ただ、店に着く前に、あそこはバックパックの種類が多いわけではなかったことを思い出し、足が止まった。結局またネットに戻ったが、実店舗も含めて、比較できるほど選択肢は多くない。電話で問い合わせる気にもなれなかった。買うかどうかも分からない客に、丁寧な対応を期待するのは現実的ではない気がした。

そうして候補は、当初考えていたPorterのTankerから、aerのCity Pack Pro 2へと移った。仕事用のPCをすぐ取り出せるよう、収納を分けたい、という要件を最優先にした結果だ。

高いものを買えば解決する、という単純な話でもない。まともそうなレビューを読み、半分は騙されたつもりで買う。そのくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいいのかもしれない。しばらくは、その流れに乗ってみることにする。


時短のために、YouTube動画の要約をGeminiに任せている。

せっかくなら審美眼を鍛えようと思い、指示をいくつか足してみた。「思考の盲点や弱さの指摘」「隠された本音とその正体」といった観点で評価させる、というものだ。そうしてみると、英語コンテンツであっても、内容の粗さはきちんと見抜けるのだと分かった。特に、数を量産することだけを目的にした動画に対しては、急所を外さない批評が返ってくる。

それを眺めていると、自分が普段見ているものと、作り手が本当に見せたいものは別なのだ、ということを意識しながら視聴できるようになった。その距離感で見るのが、なかなか楽しい。作ること自体は自由だが、こうした粗製乱造のコンテンツは、いずれ淘汰される理由になるのかもしれない。アタリショックのような現象も、突き詰めれば、意味の薄いものが大量に出回った結果だから、同様のことは時間の問題だと考えるようになった。

以前よりも、少し俯瞰した目線でコンテンツを見るようになっている。

2026.01.12 / Category : 小噺