十五夜

『Destiny Rising』をAndroid端末に入れてみた。ところが、どうやらAndroidではキーボードもマウスも使えないらしい。調べてみると、多くの人はPCで「Bluestacks」という仮想化ソフトを使うのが良いと勧めている。

思えば、Samsung DeXという機能もあるにはある。しかし日本ではもちろん、世界でもほとんど利用されていない。七年ほど前、日本で売られていなかった頃に、わざわざ台湾出張時にSyntrendで買ってきたのに――その熱も今となっては空回りだ。

仮に使ったとしても、ゲーム規約でBungieのPCアカウントがいつBANされるのか分からない。そう思うと腰が引けてしまい、結局いまだにプレイできずにいる。


台湾の社員食堂を訪れたときのこと。
そこには思いのほか日本文化が染み込んでいて、食卓にもその影響が顔をのぞかせていた。

五穀米のようなものが並んでいたのだが、メニュー名には堂々と「健康飯」と記されていた。日本ならば少し気恥ずかしそうに、あるいはどこか隠すように扱われがちな言葉を、真正面から掲げている。その潔さに、妙に心が晴れる思いがした。

ただ、饗応の一環なのだろう。出された量は想像以上に多く、途中で箸を置きたくなるほどだった。ありがたさと苦しさが同居する、そんな一食の記憶である。


台湾で、釈迦頭をはじめて意識して食べてみた。
値段はおよそ千円、190元ほど。地元の果物屋でも値段に幅があるらしいが、今回はあえて高めのものを買った。安さを探してコスパを求める気持ちはなく、うまいものを一度食べてみたいと思ったからだ。

地元の人からは「皮の凸凹が詰まっていない、破裂しそうなものが当たりだ」と教わった。実際、その通りの果実を手にできた。ナイフが必要と聞いていたが、手で簡単に割れるほど熟れていて、本当に良いものだった。

果肉はどろりと柔らかく、口に運ぶとアイスクリームのよう。ゆるやかな舌触りはヨーグルトにも近く、スプーンですくって食べるのが楽しい。黒い種が多いため、スイカのように口から皿へと種を吐き出しながら進める。

味わいは、私にはビワやマンゴーを思わせた。香りは控えめで、爽やかさも強い主張もない。ただただ甘く、干し柿にも似た濃い甘さが広がる。酸味がなく、青臭さもない。ひたすら甘やかで、しかもビワのように手を汚さない。その食べやすさも気に入った。

ジュースやアイスにすれば、かえって魅力が失われそうだ。果物そのものを手にしてこそ、釈迦頭の良さは際立つ。チャンスがあればまたぜひ食べたい、そう思わせる一品だった。


三か月前の帰国時には、しばらく感覚のズレに悩まされた。だが今回は、不思議とすぐに修正できた気がする。おそらく特効薬は、味噌汁と、出汁をしっかり利かせためんつゆだったのだろう。

「出汁文化がない」と言い切るつもりはない。ただ、フリーズドライの味噌汁と白米のおにぎりを口にするだけで、ぱちんと音を立てるように、体に染みついた異国の感覚が洗い流されていく。いわば“娑婆っ気”を取り戻す瞬間だ。

異国の文化を否定するわけではない。ただ、現地に合わせなければ暮らせない。だからこそ、自分を元の場所に戻すために、味噌汁やおにぎりが必要になる――そんな気持ちである。


常に頭の中がいっぱいで、思考の余白がほとんどない。考える時間をすべて使い切ってしまうせいか、深い思索に沈むことができなくなっている。

家に帰れば、あえて「何も考えない時間」をクールダウンのように割り当てる。だが、そのせいで不思議なほどやる気が湧かない。心を休めているのか、それとも空白に押し流されているだけなのか――自分でも判然としない。


9/20。

クーラーを使わずに換気だけで暮らすことが出来た。もうすぐで涼しい一日がやってくるのが待ち遠しい。

2025.09.21 / Category : 小噺