台湾に行ってきた。ほとんどの時間を仕事に費やし、息をするように動いていたため、記憶に残ることは少ない。
観光ではなく、ずっとComputexの会場にいた。今年は、AMDの影すら見えなかった。新作ビデオカードは発表されていたが、目新しさは薄く、発表されたのも5060番台程度の実用的なもの。会場全体が、nvidia一色に染まっていた。Intelもまた、CPUに関しては特に強いメッセージを打ち出すこともなく、かつての勢いからの退潮を感じさせる展示だった。
一方で、ジェンスン・ファンが来台した瞬間、ローカルメディアは一斉に速報を出し、その訪台に合わせるように、nvidia本社やスパコンセンターを台北に設立するという爆弾発言。
すべてが用意された流れだった。
たまたま、会場で本人が目の前を通り過ぎていくのを見た。台湾の人々からは、まるで現人神のような扱いを受けていた。その熱気と視線の強さが、いまも記憶に焼きついている。
数兆円規模の産業投資が数日で台湾に流れ込む――その現実を前にすれば、熱狂は自然なものだろう。
ジェンスン本人は、どこにでもいそうなフレンドリーな“おじさん”だった。カリスマとしての圧はなく、それがむしろ現在の“ロールモデル”と呼ぶにふさわしい佇まいだった。余った炒飯弁当を出待ちの群衆に配ったという報道もあった。演出の域を超え、生活感のある人として、確かに地続きの存在に見えた。
アメリカと中国、どちらもnvidiaにとってはもはや“ベストパートナー”ではなく、むしろリスクである――そう言葉にこそしないが、距離の取り方は明確だった。制裁で売上を制限される中国、併合をちらつかせる国に挟まれながらも、台湾を拠点とすることで両者をかわしている。企業として、政治を正面から受けずに生き延びる、絶妙な舵取りだ。
それ自体が、台湾という場所の戦略性を浮き彫りにしていた。
Computex会場では、有名YouTuberの姿はあまり見かけなかった。Hardware CanucksやGamers Nexusの姿もなし。その一方で、NoctuaのJacob氏にはきちんと会い、記念に写真も撮ってもらった。実機展示では、パッシブ水冷に強い関心を持った。NoctuaコラボのFlux Proも、質感が非常に良い。小型モデルを選んでしまったのは少し後悔しているが、Flux自体の機能性は高いと感じた。
Antecは「Nine Hundred」や「P180」といった懐かしい名前でケースを展開していた。狙いは明らかに中年層。しかし内容としては、Corsairの5000DとFluxの折衷という印象で、まだ様子見といったところ。Lian Li O11系のクローンが市場を埋め尽くし、静音性を優先した“窒息ケース”は選択肢から消えつつある。3.5インチHDDを3台積めるケースが、いまやフルタワーにしか存在しない時点で、個人的には魅力を感じにくくなっている。Fractal DesignのDefineシリーズが残した呪縛のようだ。
周辺機器で印象的だったのは、FL-esportsのキーボード。
初めて触ったが、価格と質感のバランスが良く、ゲーム用途にも十分。IQUNIX EZ80は、もし店舗展開されれば、PCMKを超える可能性すらあると感じた。
wootingは若い世代に熱狂的に支持されており、ブースには10代の来場者が集中していた。マーケティングが完全にネットに特化しており、そのリーチ力には感心した。
DOOM: Dark Agesは会場内で何度も展示されていた。
100インチを超えるLEDビジョンに流されていた映像は、悪魔を2つに分けるようなショッキングな映像を流し、場内の空気もまた独特だった。
台湾の町並みについて記しておく。
台湾は初めて海外に行く日本人でも、大きな困難はない。むしろ、差がなさすぎて戸惑うかもしれない。
かつてのように「為替が有利だから買い物に出かける場所」という感覚は、もう通用しない。むしろ物価は、日本と同等か、それ以上だ。屋台料理も安いという印象が残っているかもしれないが、いまでは一品500円ほど。お茶一杯が150円前後と、日本のファストフードとさほど変わらない。
日本が相対的に貧しくなっている現実を、肌で実感する。
タイへの旅行も視野に入れているが、かつては日本の1/5ほどと記憶していた物価も、今ではほとんど差がない。日本円はもはや「価値のある通貨」ではなく、外貨に対する緩衝材のような、リスク分散の一部でしかなくなってきている。
セブンイレブンでは、日本の商品が7割ほど並んでいた。異国の文化を味わいたい人間にとっては、やや拍子抜けする光景だ。「日本の味がないからホームシックになる」というような事態はまず起きない。地元のちょっと高めの価格帯のスーパーも同様で、醤油の棚ひとつ取っても、大型のイオンに匹敵する品揃えだった。「地産地消」というよりは、日本の興味深いものが安くて買っている――そんな実用感がある。
ただし、文化の骨格は中国語圏にありながら、明らかに独立している。会話の調子、儀礼の所作、イベントの構成。どれを取っても、「中国」とは別の道を歩んでいるのがわかる。
地下鉄に乗っていると、台湾の都市としての規模感がじわじわと伝わってくる。都市を“島”に構築するというのは、どれだけの時間と意志を要したのか。タワーマンションを一棟建てて「都市文化の象徴」などと語る日本の風潮が、どこか滑稽に思えた。
気候は日本よりもさらに湿潤で、カビや微生物の存在感が濃い。
空港に降り立った瞬間から、うっすらと漂う土と湿気の匂いがある。ただの土臭さではなく、泥とカビが混ざったような独特の匂いだ。植物の繁殖力が高く、下水処理も含めて街の清潔さは保たれているものの、自然の勢いに完全には勝てていない。それが「異国にいる」という感覚を否応なく呼び起こす。
この匂いは、日本のそれとは異なる。もしかしたら沖縄に近いのかもしれないが、はっきりとは言い切れない。
ただ確かに、日本とは違う空気が、ここにはある。
台湾から戻って以来、どうにも調子が狂っている。何かを置き忘れたまま帰ってきたような感覚が、ずっと残っている。
日本に近い場所だからこそ、かえって違和が際立つのかもしれない。思った以上に、距離の近さは「戻る」ことを難しくさせる。
台湾で買った湿布には、どこか民間療法めいた雰囲気があった。パッケージの印象も独特で、「本当に大丈夫か?」と思わせる素朴さがある。調べてみると、主成分は漢方。「ボルタレンのような成分は含まれていないので、肝臓を傷めない」と堂々と書かれていた。なるほど、そうしたニーズがあるのだろう。
サロンパスの正規品も売られていたが、その隣には「一條根」「金牌」など、どこか懐かしく、異国のにおいを纏った湿布が並んでいた。西洋医学がまだ浸透しきっていないというよりも、別の医学体系が、しっかりと根を張っていることを感じさせた。
こういうものこそが、旅の記憶として妙に残る。飛行機ではなく、湿布の匂いが、旅先の空気を思い出させることがある。
また、秋葉原のはずれにある病院に行くことになりそうだ。前回は盛夏、今回は健康診断の結果に驚かされ、精密検査を勧められて通うことになった。
十年ほど前なら、「余った皮がどうの」「二重に整形できる」など、たわいのない言葉が並んでいた。だが、年齢を重ねてくると、そうした言葉もどこか生々しく、無邪気に笑えなくなってくる。若者には冗談が通じず、こちらも軽口を慎むようになる。
診断結果に「脳に怪我あり」などと書かれていれば、誰だって身構える。覚えのないことでも、数値と所見は正確なのだろう。とはいえ、”death”に関わる単語が前触れもなく出てくるのは、心臓に良くない。
近所の医院はどれも、昔ながらの下町の“ヤブ”という風情が抜けない。通う場所が限られていると、あらためて思う。いざという時に頼れる医療機関がある街に住みたい――そんな思いが、じわりと胸に残った。
台湾から戻って以来、ひとりだけ三週間近く、小忙しい日々が続いていた。その忙しさが原因であることは、自分でも分かっていた。けれど、それを認めてしまうと動けなくなりそうで、心を封じて働き続けていた。
そして土曜日。
張りつめていた何かが切れたように、疲れが一気に噴き出した。熱は39度。ここ数年で見たことのない数値だった。
なんとか病院へ向かったが、体温計の数字を見た瞬間、気力が底をついた。そのまま帰宅し、布団に沈み込むしかなかった。