フアレル

人差し指の手術してから1周間経過しているが、指の鈍痛は取れず。
指の表面で感覚がないところも残っている。皮膚があるのに、まるでそこだけないのように感じて不思議だ。しびれはないが痛みは残っている。
正直な所、痛みなどについては手術後から明快な回復した感じがない。もともとは2周間したら抜糸するとは予定しているが、傷口がそのまま開いたままになっているのではないか、みたいな杞憂が頭の中で駆け巡る。
だけど、切り落とした指も場合によってはどうであれくっつく事例も見てるしなんとかなるかもしれない、なんてことをグルグルと頭の中で回り続けている。
指自体は、今の週の半分は日夜構わず美女の大事なとこの中で過ごしてるので、湿潤療法なんてものはそんなに心がけなくて良いのだろう。


金曜日の朝、通勤がてらラジオ番組を聞くものが無いと思っていたら春風亭一之輔の番組を聞くようになった。
開始30分程度で、首から上にある大事なところの具合が芳しく無いリスナーの妄言に付き合ったりと、「相手の目を盗んで手を抜く金曜日」みたいな雰囲気があり、ちょうど灰になりかけている週末の精神には、燃え尽きる前の最後のリズムが作れている。春風亭一之輔は上柳昌彦の後継者やら影武者みたいな方向性に据えているのか、声質も似ているのもあってニッポン放送が離さないような感じすらある。
すわりの良さが違うのだ。まるで20年続けてきたラジオ番組のような落ち着いた、ほがらかな感じなのだ。

TBSラジオで1、2年違いで始まった臼井ミトンも声が心地よくないと感じてしまう。なんだかアッサリとした間の悪さばかりが気になって、悪い地方FMラジオ番組のようで聞かなくなった。
そもそも前にやってた有馬隼人は色々と自分本位な、周りが見えていない発言をしているなあと思って、ラジオでよくある毒やら罵声とは違った居心地の悪さからかなり早い段階からフェードアウトした。プレミアムフライデーをいじり始めたぐらいだ。多分、開始してから半年ぐらい。
山瀬まみからイジられても変な受け取り方と返しをしてて具合の悪さが際立っていたのもある。「そうじゃねえ」と思った瞬間の積み重ねが、伊集院の信頼とは別にうまく行かなかったのだと思う。

ラジオについては芸人だから聞く、というのもなくて単純に声と口調で心地よいかどうかで選んでしまっているため、聞けるものが少ない。
むしろ芸人のラジオ番組の掛け合いでは、テンポを優先して何言ってるのかわからなくなったりする上に、想像も出来ない言葉ばかりになると聞くのをやめてしまうことが多い。「この間、あるテレビの収録が・・・」とかみたいな話も多く、裏話でファンをもてなすパターンなのだけど、あまり興味が持てない。本能的な部分で他人への興味が少ない血統のため、知らない人が更に知らない人の話をしている時点で興味が持てない。
性根が愚鈍な田舎者なので、芸能界の常識にも疎くてそれ前提で話をされてしまうと参ってしまうのもある。


twitterのからあげのるつぼ氏の仕事のあるあるを見て、確かに身近にもあるなあと思える内容があった。
やる気のない人たちやら、仕事のできない人たちが会社での行動を切り取ったエピソードだ。
ただし、落とし所の無い噺として、解決しない、解決できない問題という話題の結末にしているので「見てて、それまで」という夢のない世界に連れて行かれるために、途中で見るのを辞めてしまった。
多分、人間工学への興味があるからそういう内容の入り口はとてもおもしろいのに、読んだ後に行き場のない所に連れて行かれるので、見てて心地よくない。

というのも詳しくは言えないが、保育園落第生の吹き溜まりみたいな場所を見て気持ちが変わっている。
手元の札の調子が良くないのだ。
もうトランプとか花札とか、そういうのは全く関係ねえじゃねえかという荒い潮目に飛び込む羽目になってる。おひるねじかんに乗じて強めの神経ガスでも吸わせないと奴らに勝てない。
こうなったら紫色のマオカラーとか着てyogiboの上で胡座でも書かないと駄目になってくるな。
そして首に紐を括り付けられて最後に言うんだろうな、
「わたしはやってない」と。

2021.06.05 / Category : 小噺