便所の落書きというけど、油性マジックを持って回る共通性が怖い

現状の棚卸し。
今回色々と「アレ」と思ったのは、明らかに落とし所も無いのに、場当たりで無計画な所で突き進んでいるため、その一環が発露したのだと思う。後始末という言葉を理解していない。
見た感じから色々と限界が来てるのに他人のせいにして回ってたり、悪い方のFrenemyになりすぎて会話できる所はすべてスクラップアンドビルドすればなんとかなる、みたいな横暴すぎる所も多すぎた。
正直な所、今の場所をなくしても問題無いと思ってるフシもあるから、全滅するような方向性に進んでて、悪い意味で他人に甘えてふざけてるよねと思っている。
その一方で個人の裁量を全体に適用して、細かいルールだらけにしてる所も無駄にしか思えない。そんな地獄に人は来ない。
その環境の運用をなんで家族や恋人でもない、たまたま関わったあんたにすべてを差し出してもらうことを前提にしているんだ、と。
できることと求めてることの授受があるから成立するんであって、その関係性を健康にしないから無理がたたる。

今までに数年単位での計画も聞いたことが無いから、出せずに開き直ってるんだと思う。
そもそも「自分が一番苦しいからみんなももっと苦しむべき」という固定観念で人とモノすべてに接してるから、全体的にフラットかつ俯瞰の視点に行けていない。それも変えられないと思い込んでしまっている。
プロジェクトマネジメントとかフレームワークとかの話も多分、理解ができないので手元から抹消するという状態になると推測。

http://www.jp.square-enix.com/tech/openconference/library/2011/dldata/PM/PM.pdf
これを見て、体力の作り方などを勉強している。

とにかくは今、イテレーションとは言われてる短期的な改善などを投入して、止めて隠蔽する流れをとにかく無くす方向に向けている。
わからない事は無くして、心理で働いてる人をあぶり出して、次のステップに踏めるようにする基礎だけを只管やっている。
結構そういう意味では、上手に動いている状況を見て立場的には裏方になったので手応えを感じている。
ただし、規模が小さすぎて全体的波及性が低い。砂も無い下町で砂を噛むような季節。


がうるぐらのファンアートにメアリー・スーがいないので、そういう年齢層とか対象には届かないようにしているのかと思った。
どんな世界にいたんだと思う、自分の特殊性。
いや、アイドルのようなものがあると嫉妬というか、自分の方がもっと魅力的だと対抗心に燃える人がいたり、自分がそれに見合う、またはソレ以上の存在で上から目線の方というのが大勢いらっしゃるかと思っていたが、英語というだけでこんなにも違うのかなと思った。


歳を取ると、若い時にあるような無駄にリアルな事を素晴らしいと思うような事はなくなって、現実にないから良いなあという目線で漫画とか見ることが多い。
「うめともものふつうの暮らし」や、「殺し屋だって見守りたい」みたいなものだ。ザ・ドキュメントを見るのは結構辛い。
よく分からないけれど、「The dodo」で捨てられた動物が病気から回復して、新しい飼い主のもとへと行く動画が好きだ。感動ポルノなのかもしれないけれど、皮膚病が少しずつ治っていく姿を見て良かったなあと思ってしまうのだ。
明後日の方向に努力し、手助けをしてくれる人に気が付かない愚鈍な人生を送っているので、うまく行く瞬間を欲しているのかもしれない。

単に趣味というか、「王子様みたいな女性」というのもそれに当たるかもしれない。そもそもベルサイユのばらのオスカルに対して最初に異性を感じたからかもしれない。そのあとはカイ・ハーンとなるのでかなり変性しているが。
そもそも自分一人で生きて入れるようになった女性と、何も共存する理由もないけれど一緒に生きていくことができればと思っているのだけれど、それの象徴なのかもしれない。壇蜜が結婚した時のインタビューは良かったなあと思った。結婚しないで生きていけるようになってから、結婚したいと思ったというのがとても素敵だと思った。
愚鈍な人生なので親孝行もできずスマンと思いつつ、浪漫の世界で孤独を伴侶にしていることが精一杯のことだ。

2021.12.05 / Category : 小噺