人間が自然に手を加えて形成してきた物と心の両面の成果

サブカルチャーとメインストリームカルチャーとあるけれど、メインストリームが一体何かと曖昧模糊すぎてなんだかわからない。
というか、メインもサブも関係なく、サブと言われてる小さな集まりが村社会みたいに外界と遮断して交流とか流動性もない感じがしている。共通認識みたいなものもなくなりつつあるのかもしれない。
全体的に社会を形成することを求められてるのに、他人に敬意を示さないことがトレンドになりつつある。


政治と宗教と野球の話はするな、というのを思い出すけれど政治と宗教の話がこんなにもオープンになっている所を見て感じたのは「監督であり神である自分が絶対的に正しくて、プレイヤー全員がカスなので、世界が自分の思い通りにならないのが我慢ならない」という話をする材料として利用されているから、忌避されているのだというのがよく理解できるようになった。

別に政治やら宗教が良いも悪いもなくて、他罰的かつ無責任な言動で自分が正しいと言い張る人間が近くにいると鬱陶しいだけなのだ。特に日本語だと言葉以外の表現に頼るコミュニケーション方法を取ることが多いので「お前より俺の方が素晴らしい人間なのだ」みたいなことを言外で言われてたら、そりゃ「理由も無いのにどうして巻き込まられたり、そんな事言われなければならないのだ」と嫌な気持ちになる。そんなのばかりに囲まれていたら認知の歪みが生じて、他人の不幸を願うようになるのが当たり前になる。

ただ、最近は政治と宗教以外でもこの言動をする人を見る機会が増えているので、人間の感情はどうにも上手に付き合わないと大変なことになると気がつく。
ポジティブな事を言えというのも理屈はあるしジョークが言えるだけの余裕じゃなくて、そういうとは面倒な存在とは近づきたくないと自己表明はしていきたい。


老人のように同じことを何回も言うのは、忘れてるというのがあるんだけど発言した時に頭の中をフル回転させてないからだというのに気がつく。
大切な場面だと忘れないけれど、ユルんでる時には何を言ってるのか覚えてない。別の言い方とすると発言よりも別のことに意識が行ってるから前に何を話していたとかも忘れている。
セックスの間に田嶋陽子のことを考えてるようなことだ。
なんのことを言ってるのか自分でもよく分からない。

とりあえず、ボケ始めたということは色々と安寧の時間に突入しているということなんだと思うことにする。


Destiny2が新シーズンに突入した。光の終焉という穿った見方しか出来ないようなタイトルが付けられていて邪推だけが出来ていく。
どんどん人類が窮地に追い込まれていく。僅かだがゲーム内で希望の象徴とされていたトラベラーも地球から脱出しようとしていた。
これは人間に対して「そこまでの力は無い」という判断で動こうとして、結果今の状態になっているのだと思うと、次の展開はなんとなくだが読めるような手かがりがある思えてしまう。
こんなことを毎回考えているがあたった試しがない。
楽しみ。


Youtubeで地理の雑学ゆっくり解説を見始めた。
高校の時は地理大好き野郎だったため、こういう地政学が大好きだ。環境制限というのは結構物事が決定される重要な要素になるから俗説・仮説の一つだとしても楽しんでしまう。


そういやテック系カルチャーの雑誌とか見なくなったな、と気づく。
技術自体に向き合うのではなくて、今だとAIと暮らしをあわせたような、なんだかオーガニックな感じで技術とかそういうのを一切感じさせないのはたまに見る。雑誌のwiredが昔からやっていたようなヤツだ。
今だと雑誌を作るよりYoutubeの動画コンテンツを作るほうに流れてるのかもしれない。

2023.03.04 / Category : 小噺