移行間の不安定な動き

WordPressについては移行して振り返ってみると楽だった。

pukiwikiとかだとi18nとかプラグインやらずっとコンフィグを書き換えて面倒くさかったのに、テキストデータはSQLにあって動作関係はすべてドメイン内で完結しているというだけで随分とあっけないものだった。ディレクトリ構造も変更無いというのも色々と助かった。内情だと「いい加減あの構造をやめろ!!」みたいな戦いがありそうと邪推しているが、エンドユーザー視点からとしてはツール無しでもなんとかできるからとても助かった。

Linuxサーバーだと各ソフトウェアの常識ごとに依存関係のファイルの場所が異なっていて、binだのusrだの解釈のブレに振り回されていた。基本的な設計概念としてアレコレと1つのサーバーにソフトウェアを入れるもんではない、アプリの数だけサーバーに分散させた方がずっと保守面で楽というのがわかってからは、そりゃ仮想環境が大流行するわな、と実感したことを思い出した。クライアントOS系だと複数のアプリを入れることが当たり前になっているから、気が付きにくいのだけどサーバーなんてコスト優先で複雑化させる時点でかなり積むんだな、この辺りは組み込み屋からの教育を受けた身分からすると思想が全く違っていた。

組み込みはコスト下げが念頭になっているから、ハードウェアも必要最低限より少し下のレベルで設計されているし、コードは可読性を犠牲にして数式も圧縮し訳が分からない数列がメモリに入れているしなぜだか分からないが動作している、ということも多い。改善というか単体動作以外の用途を考えないから原始的なものしか許容されていないし、そういう観点から抜け出せないエンジニアリングがとんでもなく多い。

そういう中で、落とし所を明確にしているだけでソフトウェア障害からの復旧は楽だなあと感じた。推論が使いやすい。


物事が整理されると問題が発見しやすくなって、単なる復旧が大幅改善になるというのは「あるある」なのだというのも実感した。リファクタリングが好まれるのは単に整理されるのではなくて、視点が広がるからというのもあるのか。

グーテンベルクの使い方は直感的ではないというか、各素材を組み合わせることを中心にしているから文章を書くための機能としての優先度は低い。この辺りから前のエディタの方がずっと慣れていたし、大体の日記サイト的な入力フォームと同じだったから、あんまり考えることは無かったけれど、レイアウトを考えてる人を中心に据えているのが個人的には面倒だな、文章を書くことだけに専念できるようなものがほしいな、と思った。

2024.02.11 / Category : 小噺