血迷いごと

最近、口調について考える機会が増えている。

使う単語や、それに付随するイメージ、イントネーション。それが自分にとって聞き慣れたものであるかどうか──このあたりは、人と人の関係性をつくる上で、意外なほど大きな影響を持っているのだと感じる場面がやたらと増えてきた。

「伝えるには口の聞き方を変えろ」とよく言われる。けれど、実際にはそれ以前の問題として、イントネーションや話し方に自分たちと異なる要素が入ってきた瞬間に、拒絶のスイッチが入る人も少なくない。「気に食わない」というのは、案外、言葉そのものよりも音やリズムのズレに対する反応であることが多い。

さらに言えば、「誰が言うか」で伝わり方は大きく変わる。関係性の距離感とよく言われるけれど、実際は「上下」でしか見ていない人も多い。若くしてその感覚がバグっている人もいて、そうなるともう、こちらからはどうしようもない。

たとえば、おじさんが若者言葉を使っても、会話の端々に滲む“おじさん言葉”が邪魔をして、結果として拒絶されてしまう。そのとき若者側が感じているのは、単語の違和感ではなく、「自分たちのコミュニティに、無関係の人間がズカズカ入ってくる」ような侵略感であって、それはイントネーションや間の取り方といった非言語的な要素から生まれているような気がする。

このあたり、若いうちから落語や古い映画など、異なる世代や世界の言語感覚に触れてきたかどうかで、許容できる範囲が変わってくるのだろうというのが、最近の個人的な実感だ。

思えば、自分は子どもの頃に、親がレンタルビデオにハマっていて、洋画ばかり一緒に観ていた。だからなのか、日本的な“機微”というものにピンと来ない感性が育ってしまった。今でも『男はつらいよ』のような邦画を観ると、どこか気恥ずかしさというか、“きつさ”を感じてしまう。

思い返すと、当時の自分にとって邦画は、どこかYouTuberのコントに近い印象があった。作っている側が本気なのか分からないし、どこまで真面目に観ていいのか判断がつかない。むしろ『ドリフ』や『とんねるず』のテレビ番組の方がずっと楽しかったし、家族の誰もドラマを観ていなかったという環境もあって、空気感や“お約束”を共有する機会がそもそもなかった。

だから、従兄弟の家に遊びに行ったとき、家族みんなでテレビドラマを観て、その回について語り合っている光景を見て、正直驚いた。血はつながっていても、育つ習慣や文化はまるで違う。それを知ったのが、あのときだった。


あまりドラマを観る習慣がなかったけれど、「見ないままでいるのもどうなんだろう」と思って、『地面師たち』を観てみた。

東京に住んでいるせいか、描かれている“東京的な嫌さ”が妙にリアルで、そこがとても良かった。空気感というか、登場人物たちのクズっぽさにも嘘くささがなく、ちゃんと“本物”らしい嫌なノリがあって感心した。

特にアントニーの演技が良かった。手のひらをあっさり返すキャラクターなのに、情緒不安定とか狂気じみた演出に頼らず、ただ堂々と「嫌な奴」として成立している。その潔さが逆に気持ちよくて、印象に残った。

あとは『黄うんちたち』を観るだけだ。


最近、見るものが少しずつ変わってきた。

ここにきて初めて石川典行の配信をちゃんと見るようになったのだが、意外にもすんなり馴染めた。どこか伊集院光のラジオに通じるような、話との距離感や向き合い方があって、思っていたほど抵抗がない。

声や内容のテンションはまったく違うのに、不思議と“聞いていられる”空気がある。今の自分にちょうど合っているのかもしれない。


生成AIを使っていると、気がつけば10TBのHDDすら容量が怪しくなってきている。
Checkpointだけで平気で50GBとか食うので、仕方ないといえば仕方ないのだが、保存データの感覚が完全に狂ってきている。

とはいえ、今の為替を考えると、2025年の日本円の価値は数年前と比べて実質“半額”に近い。感覚的に、あらゆるものの値段が2倍になっている。たとえば、GeForceの3090が20万円前後だったのに、5090は平気で40万円を超える。これは性能向上以上に、貨幣価値の低下をそのまま体現しているようなものだ。

スーパーで見る商品価格もじわじわと上がっているけれど、どこかで「一時的な値上げでしょう」「コーラ1.5Lも130円に戻るだろう」みたいな感覚を手放せないでいる。だが現実として、それはもう戻ってこない数字かもしれない。

年収の目標として語られる「1000万円」も、実態としてはもはやかつての500万円ぐらいの価値しかない。以前500万もらっていた人が今同じ暮らしをしたいなら、1000万は最低限必要だという感覚だ。でも、多くの人がこの“数値のズレ”に気づかないまま生活している。

本当なら、自宅のNASを20TB構成くらいにして運用しているはずなのだけど、いざ実現しようとすると、今の価格感では現実味がない。しかも、“そこまで必要じゃない”という微妙な状況だからこそ、余計に踏み出せずにいる。

必要なようで、実はそこまで必要じゃない。でも、足りなさを感じてしまう。そんな中途半端な不満が、今の物価と為替と価値の混線に象徴されている気がする。


昔あった乳酸飲料「ローリーエース」はなくなり、今では色々とあって「ラブレ」になっていたらしい。

あのタイプの乳酸菌飲料は、今では「自分へのちょっとしたご褒美」としてヤクルトを買ってもいい、という感覚になって久しい。でも、子どもの頃はヤクルトなんて“選ばれた人の飲み物”みたいな存在で、とても手が届くものじゃなかった。

だからこそ、当時のあの味が、今ではもう思い出せない。懐かしいはずなのに、記憶の中では霞がかかったままだ。


セブンイレブンで「Dodgers Prime」というドリンクが売っていたので、試しに買ってみた。

原材料にはココナッツウォーターと書かれていたが、実際はブルーラズベリー味でびっくり。しかも甘味がものすごく強くて、そのままでは飲みきれず、水で割ってようやく口にできるレベルだった。おおよそ50%まで薄めると甘さは落ち着くものの、今度は風味が消えてしまって、なんだか勿体ない。

とはいえ、個人的にはこの味そのものはかなり好きだった。だからこそ、甘さだけを徹底的に抑えてくれれば、箱買いしていたかもしれない。徹底的に冷やせば少しは甘さが和らぐかもしれないが、今回は久しぶりに「体が拒否反応を示す」レベルの甘さで、逆に刺激的だった。

2025.03.14 / Category : 小噺

無駄遣いTheジャイアント

Illustriousを使って画像生成をしているが、結論としてはDRAMは64GBあれば十分という認識に落ち着いた。今の環境だと、どれだけ重い生成でも最大60GBに届くかどうかで、だいたい50GB前後で頭打ちになる。

Ponyと比べて改善されている点として、LoRAを使わずともプロンプトだけである程度の調整が効くようになっている。ただし、それでも「checkpointに何を食わせているのか」「好きな表現方法をどれだけ引き出せるか」という見極め作業が必須で、性能を引き出すには相変わらず手間がかかる。正直、面倒くさい。

そして何より重要なのは、DRAMをいくら増やしても処理速度には直結しないこと。

AI画像生成に本当に効くのは、SSDの読み込み速度とGPUのVRAM容量。オーバークロックなどを頑張っても、生成時間に明確な差が出るような恩恵はほぼないと思われる。それよりは、軽量化されたLoRAや効率化されたCheckpointを使って、そもそもの計算量を削る(語弊あり)アプローチのほうが、よほど効果的に感じる。

ただ、現状のハイエンドGPU──たとえばRTX5090でもVRAMは32GB止まり。これがどうにも中途半端に感じられてきている。問題なのはその価格で、性能に対して割高感が否めないこと。体感的に「この値段でこの速度か?」という疑念が拭えない。

画像生成を遊びでやるだけなら、素直に課金して、年間1万円くらいの生成サービスを使ったほうが、コスパ的にも気分的にもスッキリするな……というのが今のところの正直な結論だ。


思うところがあって、『リングフィットアドベンチャー』を習慣づけようとしている。

というのも、最近は筋力も持久力も著しく落ちてきていて、下手をすれば「要介護」の一歩手前なんじゃないか、という不安を感じるほどだった。少しでも筋力を取り戻したくて、まずはリングフィットから始めることにした。

本音を言えば、体を引き締めたり、見た目の変化を意識したりもしたい。けれど、腕立て伏せ100回を通しでできるようになるまでは、そういう“格好いい話”は封印しておくつもりだ。言うのはそれからでいい。

それにしても最近は、寝返りひとつ打てないくらい体が硬くなってきているのを実感する。いくら寝ても疲れが抜けず、むしろだるさが積もっていくような感覚。
だからこそ今、少しずつでも取り戻していくしかない。


世間の流れもどんどん変わってきて、世界の果てにいるはずの自分のところまで、クソ忙しさが押し寄せてきた。それでも、精神的にしんどいことが減ったぶん、まあトントンかなとも思う。

ただ、瞬時に要約したり構成を組んだりと、求められる処理能力が上がりすぎて、逆に世間話のほうがしんどくなってきている。少し前までは、自分も容量のない話をダラダラとして、もたついていたなとふと思い出して、人生って難しいなと感じる。

おしゃれに、恋に、頑張るぞ。

──それが、遠くからビール瓶が頭めがけて投げ込まれる合図だった。
「燃やされてしまえ、気持ち悪い」
そんな声が幻聴のように聞こえた気がした。


ようやく『Soulstone Survivors』で、全ジョブのスキルを解除できた。

プレイ感としては、まるで『FF10』のスフィアボードを延々と埋め続けるような、時間との消耗戦だった。個人的にはネクロマンサーが一番性に合うかと思っていたけれど、高難易度での耐久性という意味では、アーケインウィーバーやミュルミドンのほうが安定している印象を受けた。

ただ、ボスラッシュのLv6あたりになると、難易度というよりは事故死誘発の領域に入ってくる。防御ビルド云々という話ではなく、純粋に「どれだけ気合でやり続けられるか」の勝負になってくるので、正直、時間が有り余っている人向けの内容だと感じた。

武器ビルドとスキル構成についての所感(※ネット上の定番構成に対する自分なりの評価)

ベノムボレー
毒が強いという話をよく見かけるが、個人的にはどう頑張っても火力が出ない。クールダウンが重く、回数を稼いでも全体としてダメージが伸びない。見た目ほどの性能はない。

シングルフォーカス
複数取れ、というアドバイスも見かけるが、正直そこまで万能な強さは感じなかった。

破壊の一撃
自分としてはこれが現時点でのベストDPS。シングルフォーカスを取るぐらいなら、破壊の一撃と一緒に、氷の渦・地震・アーケインコンジュレーションあたりを組ませると、高難易度でも安定する。

ゾンビハウンド
召喚系の中ではDPSが高め。ただし、敵が多くなると貫通性能のなさが致命的で、押し負ける。Sランクかと思いきや、数の暴力には耐えられない。同様にカオスゴーレムやスケルトンアーチャーも、単体では強いのに群戦で弱くなる。特にアーチャーはエイムの精度が悪く、ボスラッシュでは空気になりがち。

刈り取り
DPSを直接出すタイプではないが、破滅デバフとの組み合わせで実質スタメン。毒ビルドで言えばパージスラムがこれに近いらしいが、未使用。破滅デバフでじわじわ削って、刈り取りで一気に持っていく構成が安定感あり。

出血・火傷系デバフ
正直、効果の実感が薄く、あまり強いとは思えなかった。結果的に、破滅デバフを扱えるキャラを中心に構成している。

全体として、自由度が高いようでいて、難易度が上がるにつれてビルドの選択肢がかなり狭まってくる印象。とはいえ、やり込み要素としては十分すぎるボリューム。時間を注ぎ込んだぶんだけ自分なりの結論に近づけていく感じがあり、しんどさすら心地よかった。


ストレス解消には、どうやら輸入食品店がちょうどいいらしい。

原体験としては、昔サンシャイン60でリコリスキャンディを買ったことがあって、それがずっと記憶に残っている。普段のスーパーでは見かけない、ちょっと変わったものや、見た目に惹かれる美味しそうなものを買う──それだけで気分が切り替わる。

幸い、近所にドクターペッパーチェリーや、バヤリース沖縄のグアバジュースを扱っている店があるので、そこにふらっと立ち寄っては小さな散財をしている。たとえば、普段あまり食べないマカデミアナッツなんかもまとめて買い込むと、不思議と気分が良くなる。

ストレス解消といっても、大げさなことをするわけではなく、こういう“ちょっと贅沢な買い物”が、自分にはちょうど合っている気がする。


ずっと通っている倖佳が、今度の4月末ごろから1人体制で営業するらしい。

きっと色々と大変なこともあると思うけれど、それでも変わらず続けてくれるのは本当にありがたいし、何より応援したい気持ちが強い。

無理せず、でも倖佳らしさを保ったまま、うまく続いていってくれたら嬉しいなと思っている。

2025.02.10 / Category : 小噺

あけまして

おめで玉金


新年早々、Netflixをいじっていた小学生の甥っ子が何を思ったのか、大人のアカウントのまま『イカゲーム』を見始めてしまい、あわててリモコンを取り上げて再生を止めた。危ない、実に危ない。すぐに子供用アカウントに戻してアニメなどがすぐ見れるようにした。

思い出すのは、自分が小学生の頃、レンタルビデオ店に通ってはホラー映画のジャケットばかり見てしまい、その夜に悪夢にうなされた体験の数々。ああいう記憶を、甥にまで味わわせてはいけないと思った。

特に『オールナイトロング』のパッケージは、今振り返っても刺激が強すぎた。見たわけでもないのに、ただパッケージを見ただけで、しばらく頭から離れなかった。ああいうのは、まだ子どもが触れなくていい世界だ。


ものは試しにと思って、クリフトンストレングスのテストを受けてみた。

が、日本語訳のひどさに唖然とした。選択肢の日本語も不正確で、内容が粗雑すぎて見ていられないレベルだった。あれで正確な効果測定ができるとは到底思えない。

英語で受けたほうが、文脈を理解したうえで判断ができたかもしれないとは思う。けれど、そもそも前提となる文化的背景や文脈がどこの国基準なのかも不透明なので、正直なところ、それもまた難しい。少なくとも日本語圏の文化ではあり得ないようなシチュエーションを前提にしているのでアメリカだけでしか通用できないものだというのが分かった。

企業があの結果を見て、どんな采配を下せるのかは不明。少なくとも、信頼に足るロジックのようには感じられなかった。

英語版のテスト結果と日本語訳を見比べてみたが、「意訳」というレベルにすら届いていない、ただの雑な直訳が並んでいた。あれではとても実用に足るものとは言えない。残念ながら、使い物にならないというのが正直な感想だ。


RebekahのこのMixがとても良かった。なんだろう、ロッテルダムテクノを思い出す。

とにかく飽きない、というのもあるけれど、聴けば聴くほど、昔から溜まっていた淀み──DJの楽しさや構成、プレイの方法論のようなものが、少しずつ氷解していくような感覚がある。

ふと、「自分にはSeratoよりTraktorの方が合っていたのでは?」という気づきさえ出てきた。たった1週間ほどの変化なのに、クラブミュージックに対する認識が一気に開けた感覚がある。あれだけあったフィーリングの壁や、「クラブミュージックはちょっと……」という妙な忌避感、拒否感が明らかに薄れてきた。思えば20年前にも、単発のトラックや印象的なプレイには惹かれていたのに、人によっては「これ無理」となる理由がうまく説明できなかった。今では、その感覚の正体が一瞬でわかるようになった気がする。

今のうちに、自分の中で整理された基本的なスキルや考え方を記録しておく(どうせそのうち忘れるので、主観に基づいた備忘録として):

DJプレイにおける自分の基本原則(主観)

  • 再生マシーンにならない。
     目指すのは、自分と聴いている人がともに楽しめるプレイ。飽きさせたら、そこで終わり。
  • 楽しませることが最優先なら、極端な話、金を積んで巨乳で素っ裸の女に踊らせておけばいい話。
     じゃあ自分の価値はどこにあるのか?を考える。仲間がいなければ成立しないような設計に甘えない。
  • 1トラックあたり、可能であればCueポイントを8箇所設ける。
     展開の可能性を広げること。展開して雰囲気が壊れるならその曲はボツ。
  • 他人の曲との混ぜ合わせで悪目立ちするものもボツ。
     自作曲であれ、ミックスに耐えられなければ採用しない。
  • 経路の異なる5曲とミックスしても、お互いに魅力が引き出されないなら、それもボツ。
  • “アンセム枠”は劇薬。
     プレイ全体を腐らせる危険がある。単調な印象が続いたときのスパイス程度で。多用しない。
  • 最終的な形をイメージしてから構成する。
     再生マシーンのようなプレイでは、生演奏に勝てない。沸かせたいなら構成とパフォーマンス両方を持つべき。
  • ボツ判定は1分以内。
     1日10パターン程度、32小節ループを量産できる体制を目指す。
     インスピレーションが降ってくるのを待つのではなく、短時間で高品質な模倣の技法を確立する方が現実的。

今のところ、こういった考えが自分の中での軸になりつつある。

忘れたくないのは、「気持ちいい」を狙う前に、まず「つまらなくないか」を徹底して潰すこと。そこを乗り越えないと、次のステップには進めない気がしている。


SDXLの illustrious を使い始めた。

これまで使っていた Pony V6 も、SD1.5相当のLoRAがだいぶ充実してきていたが、どうにも限界を感じ始めていた。特にネックになっていたのがプロンプトの煩雑さ。たとえば「shirt」「dress」「clothes」のような類語をいくつ挙げても、狙ったビジュアルがまったく出てこないことが珍しくなかった。類語の選定が命取りになる上に、10語ほど並べても無反応なことすらある。CheckpointとLoRAの組み合わせを試行錯誤しても、なお欲しい絵にたどり着かない──そんな疲弊感が、乗り換えを考える大きな要因になった。

Ponyに関しては、LoRAライブラリを“ある程度の網羅性”で揃えるには、結局1年近くかかるような印象だ。直近では NoobAI のように新しい試みも出てきてはいるが、結局のところLoRA必須な構造は変わっておらず、Pony環境はもうしばらく(少なくとも1年程度)は“継続前提”のフレームワークだと感じている。

一方で illustrious は、第一印象として「素直」だった。PonyのようにLoRAを多段で積まなくても、それなりに思った絵が出てくる。SDXL環境では、逆に「同じような絵柄に偏りやすい」という別の課題もあるが、LoRAよりCheckpointの方向性で全体の絵の出力傾向が決まるという感覚がある。

今のところ、LoRA疲れとプロンプトの言語選定疲れを抱えた状態からすると、illustrious の挙動はかなりストレスが少なく、快適だと感じている。

“手がかからないのに、それなりに応えてくれる”──そんな印象が強い。


検索エンジンの代わりとしてChatGPTを試してみたが、正直、20年前の企業情報すらろくに拾えないことが多く、「AIに食わせる情報にどれだけ“クソ”を混ぜ込んだかで勝敗が決まる時代」に突入しつつあるなという感触を得た。

この先数年間は、データベースの中に、特定の国家や宗教、企業に都合の良い“架空の情報”を混ぜ込んで信じ込ませた者が勝つ──そんな情報戦のようなものが繰り広げられるのだろう。

もちろん、ファクトチェックが前提となったAIが登場すれば話は別だが、宣伝やデマ、ステルスマーケティングのような情報を“自動的にすべて遮断する”仕組みが実用レベルに達するまで、あと何年かかるのかは見通せない。

本来なら、AIには“裏取り”のような悪魔の証明に挑んで、それを論理でねじ伏せてほしいと期待していた。けれど、今のところは、そこにたどり着くにはまだまだ遠いな──そんな感想を抱いた。


年末に買ったハンディブレンダーを使って、レシピなしで鶏白湯スープを作ってみようとした。
「軟骨を砕けば天下一品みたいになるのでは?」と踏んで試してみたものの、調子に乗って鶏ガラまで粉砕した結果、出来上がったのはまずい、鶏白湯とはまったくの別物だった。

後になってクックパッドをのぞいてみたら、鶏出汁でじゃがいものポタージュを作って「鶏白湯」と呼んでいるレシピを発見。
どうやら、そもそも軟骨すら要らなかったらしい。

思っていたよりずっと簡単だった。


AIで画像生成をやりすぎたせいか、現実の人間を見ていてもふとした瞬間に混乱することがある。目の前の人の手を見て、「さっき5本あったよな…?」と一度確認したはずなのに、「本当に5本で合ってるか…?」と妙な不安に襲われる。

現実世界ですべての人に対して指の本数を疑うようになった時点で、ちょっと休んだ方がいいのかもしれない。

2025.01.24 / Category : 小噺

豆乳

最近、朝食に豆乳を飲むようにしてから胃痛が改善したような気がしている。

牛乳でも良いのだけど、自分が乳糖不耐症なのかがわからないために豆乳に変えたところ緩和したようだ。昔は紀文の豆乳ラインナップでヨーグルトっぽい味わいのサッパリした商品があったはずなのだが思い出せない。健康ラムネとか愛飲していたので、乳酸菌系の味わいの甘酸っぱいものがあればなあと思っている。が、今までに見るに不評のようだ。


ヤクルト1000を寝る前に飲むとちょうどの悪夢が見れるので、そのために飲んでいるのかわからなくなっている。それよりかは早く寝たほうが良いとは分かっている。


結局、白山眼鏡店で無難なメガネを買うことにした。

一番ナチュラルというか、顔のインパクトを強めないタイプのものを選ぶことになった。また、眼鏡屋で視力検査しないで医者でしっかりした処方箋を出してもらってから作った。

日頃、メガネなのに視点がぼやっとしているのは遠くを見ることを優先していたからだそうだ。しかも乱視を矯正させるレンズだったので、近くはやたら見づらくなる。基板のシルク印刷やら本を読むのもしんどいと思っていたが、今までのメガネの調整がそうだったから、としか言いようがない。目が合わなくて吐き気がするから、精神的なストレスによって引き起こしているのかと心配していたがそうではなかった。

PCやら読書用に0.7ぐらいの度入りのメガネを作った。老眼はまだ来ていないのに1.0に矯正しても近くが見づらいというのがあったため、弱めにすることで手作業用にちょうど良い感じにできるようだ。


Zatoxを10年ぶりぐらいに聞いたけど、案の定みんなオウムに連れて来られている。今頃になってからクラブミュージックとの接し方に関しての理解を深めつつある。

2025.01.02 / Category : 小噺

恋人たちのクリスマス

歯医者へ虫歯を削ってもらったら銀座へ駆け出していた。

最初は人形町にある眼鏡屋に行って、眼鏡を更に作ろうとしていた。こないだ作ったばかりなのに、だ。しかし眼鏡屋でときめいた出会いはなく、モヤモヤした気持ちを膨らませてしまい、そのまま日比谷線で乗り継いで銀座までに繰り出してしまった。

銀座には着いたものの、眼鏡屋にはたくさん種類があるのに、納得できるものが見つからなかった。店員も買いそうな素振りで延々と待たせてしまい、全フロアの男性用眼鏡を見て買わなかった。店員にとっては最悪な日になっただろう。

銀座でそのまま松屋百貨店に行ってみたが、気に入るものを見つけられなかった。牛めしはあるのか?という「松屋」の文字だけで邪な気持ちを催してしまい、現実から目を背けてしまっていた。

GinzaSIXも行ってみたが、多くの外国人がFENDIやらPRADAに行列していた。日本だと大安売りなので、とてもいい買い物ができているのだろう。その調子でたっぷりカネを落としてくれ。おれより、もっと納税してくれ。

そんな中、一人で散歩するこの時期の銀座はベストシーズンと言っていいぐらいだった。混雑も渋谷よりマシなぐらいで、クリスマスのショーウィンドウはほとんど赤と緑に彩られている。社会人になりたてと思われる恋人たちも混雑を上手に利用して道を開けては歯止めが来かなさを誤魔化している。尻と股がそんなにひっついた歩き方なんかあるか。絡みついた尻たちを横目に、自分に合う眼鏡を探して歩き回っていた。

高級な街を歩いてても、眼鏡は見つからなかった。

2025年はスクエアタイプが流行るんです、そんな事をとある店で言われたがウェリントン型が欲しかった。色々見てても自分の眼鏡を購入する気持ちには最後までならなかった。メガネを掛けた瞬間に自分の体になる眼鏡というのがある。その瞬間がなかった。


ChatGPTで口頭の壁打ちをやってみたが、案外悪くない。

キーボードやフリック入力には慣れているけれど、それよりも脳の中身がヌルヌル出てくる感触が結構いい。ただし、wifiがないと全く使い物にならない。職場だと全然電波の入らない場所なので、スマホにヘッドセットをつなげてもどうもうまくいかない。

自分の場合は考えを整理する時に、箇条書きであとになってから整理するというの方法じゃないと支離滅裂になる。こんな日記みたいなものなら破綻してても気にならないが、あとで振り返るときに未来の自分が考え直すときには、やっぱり整理してあったほうが良い。


Notionの乗り換えでAffineがメチャメチャ良いなと思ったが、セルフホストで色々試そうとした先人が2024年11月の時点で、ブラウザで完結できない、全然だめだという情報を提供されていた。

https://note.com/tama_774/n/n3edb71a582a5

ありがたく別の手段というかCloudNext+OnlyOfficeへと検討する方向に切り替えた。その前までは土日のまとまった時間を使ってQNAPのContainer Stationでできないかと試したり、Container Stationで動かす前にDocker Engineでそもそも動くのか試していたりした。休日が潰れた。

Container Stationを使う理由としてはバックアップサーバーと本番サーバーの2本立てをしたかったけれど、それを立てるほどの工数が取れないからNASでなんとかしよう、という話だ。

Ubuntuに入れてもDockerでサービスが立ち上がった所まではうまく行った。しかしブラウザでアクセス出来ないのに悶絶していたので、諦めがついた。そもそもクラウドでマネタイズするのに優先している、というのは分かったが現時点では


所要で福岡に行ってきた。

帰る直前、空港にラーメン屋があって良かった。手早く食べて帰れるというのは心理的負担が少なくて良い。本格的な食事しかできない場所だけだったらフラストレーションが溜まっていただろう。

土産も買って、食べ比べてみたが本場の店屋物とインスタントと違うのはゼラチンかコラーゲンのようなとろみだった。

インスタントも味はおいしいけれどテクスチャーが違う。インスタントだと完全に水のようにサラサラしているが、店だと油とは別の透明なとろみがある。というか近所のスーパーで買ってきたshinshinのインスタント麺は、塩加減だったり香りは現地の味に近いと推測できる。だけどサラサラとしている水のような感触はどうにも店の味ではないのだろうとわかった。

2024.12.15 / Category : 小噺

またハードミニマルが聞けるとは思わなかった。久しぶりだ。

とても良い。


AI関連で小さくびっくりしたこと。なりすましのための道具として利用されている。

今まだ自分の著作が許可なく他人に利用されることが脚光を浴びているが、「判別できないために本物扱い」状況を作り出して、世の中のデータを破壊してきている。背乗りのツールとして利用される犯罪が多分出てきているのだから、知らない間に自分が外国で犯罪者に狙われたり、日本の警察を騙して何かの犯罪追跡の妨害工作の道具にされるような時代も近づいているのかもしれない。


Barthを買うのに抵抗があり、3kg単位で買ってる重曹とクエン酸を適当量風呂に投げ入れることで倹約をしている気持ちになる、というよく分からない溜飲を下げる方法を取る。


浪人してた頃、予備校に行く時に使っていたのが無印良品のトートバッグ(灰色)だったことを思い出した。縦型のA4サイズのノートが5冊と筆記用具が入るやつだった。同級生の仲間内で色が被らないようしてそれぞれが使って、サイズ感が素晴らしかった。そこから数年使い続けてボロボロになって捨ててしまったが、あれがもう一度売ってくれたらと思ってしまう。

仕事だとノートパソコンを持ち運ぶことを考えたらデイバッグが良いと思っていたら、今度はユニクロの真っ黒なナイロンのデイバッグがとても良かった。18Lで何も飾らないかと思ったら使いやすさがとんでもない奴だった。

大阪で働いてた時に職場の近くまで自転車を漕いでたら派手にマンホールにタイヤを取られて吹っ飛んだことがある。その時に体は無事な代わりにリュックがアスファルトにすり下ろされてしまった。

そこから何を使ってきたのかがあまり覚えていない。しっくり来ないバックパック達と、おれ。

2024.11.30 / Category : 小噺

眼鏡びより

眼鏡を作ってきた。

老化によって老眼になると思いきや、その手前で目の筋肉が弱くなって気を抜くと斜視のように焦点が離れていくようになったらしい。かすれ目かと思っていたのだけど、視線が外開きで斜め方向に離れていっているというのに眼鏡屋で検査をして気がついた。

焦点が合いづらいと思っていたので、相性の悪い眼鏡を選んでしまったのかと思ったがどうやらそうでも無い。実際湾曲したレンズの眼鏡なので慣れるのに時間が掛かり、負荷がかかっていたかもしれないけれど明確な理由は不明だ。

レイバンのボストン型で作ったものの、サイズ感が絶妙に失敗して、表情によっては頬がフレームに当たって不快になってしまった。眉の辺りのサイズ感はとても良いだけになかなか大変な感じになっている。ただし、正面の焦点については、かなり改善しているので常時かすみ目みたいな状態から改善しているので良い。


日本でフルサービスのマッサージの店が出来ないかと思っているけれど、単に床屋とマッサージ屋をハシゴすれば良いじゃないかという結論に陥る。しかし、都内にはそんな気が利いたスーパー銭湯が無い。あるんだけど、気軽に行ける場所にない。

サービスを提供する人がうら若き女性よりも技術を持っている人がずっと良いため、それなら尚更スーパー銭湯で済ませてくればいいじゃないかという話になってくる。単に身の回りを綺麗にしてもらいたいのだ。


昔の職場(とほぼ同じ所)がYouTubeに登場した。

使っているシステムが完全に変わってるなあとか、そういう所ばかりに目が行った。あとは文化というか流れている空気感があの頃のままで、懐かしい気持ちになる。楽しかったことやら地獄みたいなことも引っくるめて複雑な気持ちになる。


当たり前と言われたら返す言葉もないが、Stable Diffusioinのモデル周りをHDDに移してみたらとんでもない速度劣化で使い物にならないレベルで処理速度が遅くなった。ビデオカードの処理能力もそうだが、SSDのRAIDのストライピングでも組んだ方が良いとさえ思った。


リサイタルズの888月を食わず嫌いにしていたのだが、聞いてみたら自然と良いなあと思えた。しばゆーの復帰から再度東海オンエアを見直して来ているのだけど、その一環だ。マキシマム・ザ・ホルモンみたいな語感だけで繰り出す意味不明な歌詞で突っ走るのがとにかく良い。

ジャニーズの曲を作っている方がそのまま曲を描き下ろしているので、聞いたイメージだけだとフジテレビのバレーボール応援歌みたいな印象を持った。サビでジャニーズの若者たちがそのまま代々木体育館で宣伝するような映像が頭の中に浮かんでくる。爽やかで気持ちのいい曲だ。


最近になって知ったが、BURR OAKというユニットがトランシーなトラックで格好いいというのを知った。Drum and bassも多くの場合はMCが煽ったりサイファーを繰り出したりするのが多いが、ひたすらトラックに集中するような曲をプレイしている。


一気に寒くなった。

最近は寒くなると蕁麻疹が出てくるので、季節の境目に対しての感じ方が世間一般とズレてきている。

2024.11.19 / Category : 小噺

Javaと誤謬と無謬と

網羅された情報の中で演繹的に考えることは無く、断片知識を使い帰納法で物を考えることが多い。背理法は、考える負荷を与えてこちらをバグらせようとする詭弁を使う、害悪を心得た連中がいるため使うのは諦めた。

帰納法では抽象的に抜き取った物事に妥当性があるみたいな、いい感じの抜き取り方が出来ない。後で振り返っても納得できるようなことが取り出せたことがないので、いつも首を傾げている。

結局は手段があって言いくるられるなら有用、というような見方になる。下衆だなあと思っている。もっと綺麗になりたい。


AI絵について得た知見。

Pixiv周りで、AI絵を公開している中国人は何をやっているのか?というのは大体が明快な理由だと分かった。1つはエロ絵を利用した現金化だ。イラストレーターの人同様に流行の絵を追い求めたり頑張って製作するのではなく、完全にマーケティング的な使い方をしている。

具体的にYoutubeと同じように毎日投稿をして閲覧者とのコンタクト回数を徹底的に高めている。当然ながら、CivitAIでビジネスするなと警告しているCheckpointやらLoraを使っている。そしてPatreonでキャラクター的にもAI的にも著作権法で完全にNGなものを売りさばく、という流れのようだ。

また特定のタグで絵を回収してはLoraを作り、それをko-fiなどで金をくれ、みたいなのがCivitAIにいる。基本的に著作権という考え方がないので、法的に追いかければすぐに取り潰せそうなので弁護士がシステムを作れば、金の成る木になりそうだと思った。

個人的には絶対造らない、実現しないだろうな、という絵を生成させて楽しんでいるのでそういう意味ではおめこぼしをいただいてるような状態だ。海原雄山やら京極万太郎のLoraを作ろうと失敗していたりするのは世界で一人だけで良いし。


Fractal Design DefineからR5Antec FluxにPCの中身を入れ替えた。

かなり怪しいところとしては、3.5インチのブラケット。これが絶縁してないせいか分からないがHDDが1つ吹き飛んだ。デバイスとして認識すら出来ないようになってしまったので、速攻でブラケットを取り外して、貧相な絶縁ぽいことをして配備している。HDDはRMAサービスを利用して修理することに。

ケーブルも断線しかかっていたようで、認識に失敗するものが混ざっていた。廃棄。

以前はHDDの初期不良で海外に送った経験もあるが、現品のまま返却された。disputeをやる体力もなかったため、当時は諦めた。そんなこともあったので修理サービスに期待していないが、とりあえずはやってみることに。Asusの件もあるが、修理サービスはコストセンターという立ち位置なのでそんな所なら保険で買い替えるべきみたいな。

今回はどこかのリファービッシュ品が来たようだ。製造年月日は新しくても妙な擦り傷が多数見られる。初期不良等を組み合わせて良品に仕立てたものだろう。仕方ない。


山頭火のラーメンを改めて食べて、自分の中の考えを整理した。

甘いから苦手、だった。

豚骨というよりも白胡麻の風味を強くしたり、全体的に甘い味付けになっている。ラーメンとしてはあまり無い味付けだからレアだ。けれど、個人的には塩味がメインのバランスが好きかつ、甘いのを主軸にしたメシが苦手で、それに該当するものだと理解した。助六寿司も本当は好きではないことを思い出した。ちょうど軽い食事になるので嬉しい気持ちとそんなに美味しくない、という複雑な気持ちが入り交じるのを思い出す。


Vampire survivorsのDLCを発売日に買って、とりあえずのマイルストーン的な所までたどり着いた。

ファンとしてプレイしているので採点を甘めにしているけれど、それ以上にやってて良かったと思えた。価格とか差し置いて満足度が半端ない。濃いめの悪魔城ドラキュラのファンが作ったというのが明確に分かる作品だ。「正直、これは誰だ?」と思ったのはシャノア。DSになると全然プレイしていないので愛着が湧いてこない。蒼真もこの武器だっけ?みたいな記憶喪失がおれを襲ってくる。理由は半分分かってて、当時使っていた武器が全然違うからだ。クラウ・ソラス。

ともあれ確実に2024年の個人的ベストバイだ。

コナミにも版権を蘇らせた担当の方がいて本当に良かった。(ふたばの某ログを読んだ上での感想)


2024.11.07 / Category : 小噺

Forever Lime

缶のペリエをたまに買う。価格が高いが気分転換でエナジードリンクを買うのと大体同じ心持ち。エナジードリンクがどうしてもライフガードと同じ味のせいで、買った時の損した気持ちが未だに消えない。

硬水なのにペットボトルの炭酸水よりも飲みやすい。缶の飲み口が理由かもしれない。でも永遠のライムという言い回しは一体何?


気管支炎の通院で都心まで。

ずっと前から準備しているのに休日の朝、目が覚めると「病院に行きたくない」という自分と格闘することになった。自分でもびっくりする。

起きてからも時間通りに家を出発しなかったり、自分自身がコントロール出来なくなっている。そんな自分を楽しみながら電車に乗り継いでいく。心の暴走機関車が都心へと繰り出していく。心の中のスティーヴン・セガールよ、俺を線路の途中で停めないでくれ。

病はほぼ治り、来年の1月の最終検診で終わりになりそう。


歯医者にも行く。

前回、削った歯を埋めてもらっていたがまだ穴が開いていた感覚だったため、丁寧に埋めてもらう。これで歯が欠けた不快な気持ちが楽になった。しかし、まだ虫歯があるようだ。


N100のPCを買う代わりにRaspbellyPie5を秋葉原で買ってきた。

前から勉強用に買おうと思っていたものだ。SSLとかLDAPやら認証系のノードとして欲しかったというのもある。TLS1.3の通信に関する勉強ができれば中古のノートPCでも良いのだけど、ネットワーク系でLinuxサーバーとして立てられたらなんだって良かった。しかし、VMwareで立てた方がスナップショットでガンガン再構築してしまった方がDocker代わりのテスト環境を作るより簡単なので、そっちのほうが良かったのでは無いかと迷う。無線ネットワークも使えるのですげえなあと感心する。

HDMI mircoのコネクタではなくHDMI MINIのコネクタをUSB type-Cと見間違えて買ってしまった。失敗。さっさと頼んでとりあえず起動だけやってみる。あとはguiを使うようなアプリはインストール出来るのかを試してみることに。


気分はもう年末。

晩飯を帰宅ついでに買って、俯いて歩いていたものの空気が完全に年末の感じだ。仕事も庶務ですら面倒なものばかりが立ちはだかってきた。目が覚めると年を明けていそうな気がしてならない。気温が変動しすぎて暖房とエアコンを毎日切り替えて使うまでになった。


Vader4Proが売ってなかったが実機を触れたので記録。

ゲームコントローラーとしてはとても質感が良い。それに重さもPS5とかXBOXとかのコントローラーとほぼ同じなのでバッテリーのせいで重いということはなかった。

だけど裏側のボタンが好みではなかった。SCUFのページも見たが似たようなデザインだったのでトレンドなのかもしれない。しかし背面はパドルの方が使いやすそうと思っているので、別のコントローラーを買うだろうと判断。握るときの手の形が合わないと使わないというのは、Azeron Cyborgで学んだ。


技術系ブログを見ていると、手段と目的を履き違えているけれど本人のモチベーションのために周りがディレクションしない、みたいなことがよくある。巷でフワちゃんの騒動が起きた時にShort動画で出てきた、思い出せないような「誰か叱ってやれよ!」というのを思い出す。

本人のブランディングもある。「私は現役エンジニア」という言外のメッセージだ。「つよつよエンジニアとは違って私達は…」みたいな、言葉の意味を理解を要求するような単語を入れてるのを見ていると、そういう単語一つで世代を特定されたり、村社会だと嘲笑されるのに気がついていない、脇の甘さに不安になる。

用を足したのにケツを拭かないでそのまま終わりにしてる人を見つけた時に対しての視線の投げ方と同じなので、自分の心の持って行き方に困る。良い所だけ褒めましょうみたいな感じが社会的には良い方向に行く可能性を高められるのだけど、一方で臭いものに蓋してると良心の呵責がある。

コーンの未消化分を尻にくっつけた若者を放置して、おれが先に死ぬのが人生というものなのかと悩む。

2024.10.26 / Category : 小噺

封鎖される目抜き通り

京成立石駅から区役所へと続く道が、再開発によって封鎖された。

そのすぐに隣にすでに解体し終わった場所にコンクリートを流し込み、急ごしらえの目抜き通りが出来上がっていた。駅前の商店が一気にゴーストタウンのようになくなって電灯もない、寒々しい見た目になった。昔あった建物が描かれた街の絵があったが、なんとも遠く感じる。

新しい活気のある街になれば良いのだけど葛飾自体、おしゃれとは程遠い場所だ。活気があるのは金町と新小岩。中心から離れたJR線沿線が栄えていて、京成線沿線は都内での開発がすべて失敗している。テコ入れだとは思うのだが、京成線の沿線というだけでは結果が読めてしまうから、多分偉い人がキックバックをもらうために尽力したとしか思えない。

ようやく病気も大丈夫だと思える状態になって、天下泰平酒場に潜り込む。いつも混雑している店なのにタイミングが合って一人だけすぐに座れた。しかし1杯のバイスサワーだけで足に来た。2ヶ月以上酒を自然と経っていたからそんな弱い状態にまでなるとは思わなかった。

健康は自分で作り上げないとデバフがどんどんかかってきて、日常生活すらままならないというのが段々分かってくる。少なくとも寝る前の風呂はできる限り湯船に浸かった方が回復力が高い。あとはメシを食わずに寝たほうが回復力が高いというのも案外語られない。


linuxで真面目な環境を作り上げたことがないため、課題が増えてきている。特定のものだけを稼働させることに特化するのはやったことあるけれども、商用利用とかそういうのが無い。なんとなくは見ているけれど、御用聞きの人員を送り込む以外の積極的に保守について考えている企業を見てこなかったのでそこで経験が積めていない。

そこで勉強するようにしたいものの途端に勉強することがたくさん増えてきてしまったため、途端に息が詰まりそうになる。


夏休みの記録。

叔父が祖母についての話をしてくれた。祖母とは暮らしていないので、どのような生活をしていたのか全くわからないが断片的な話が出てきた。

祖母は田舎の港町に住んでいて、どうやらそこそこ収入はあったようだ。まだ10代ぐらいの時に親戚か、知り合いを訪ねて日本統治時代の台湾まで船で旅をしていたらしい。目的は台湾で入院した友人の見舞いらしい。そこから先は分からないが、日本に戻ってきているのでおそらく戦争前には帰国したのだと思う。

叔父と母は港町で貧乏な暮らをしていたので、祖母が子供の時の話はあまり知らないようだった。ただし、戦後もシンガポール人が日本に寄港していた時に、ビールにサイダーを混ぜた「シャンディ」というのを飲んでいたという。それを覚えて、贅沢をする時に呑んでたという話をしていた。

ネットで調べてみると実際はレモネードとビールを混ぜたラードラーのようなものらしい。ラムネでレモネード代わりにして、シャンディとして日本で飲んでいたのだろう。戦後まもなくでそんな事をしているというのは初耳だった。


叔父の話を聞いていると、叔父は生まれてからずっと地元にずっと住み続けているので遠い親戚も大体は顔見知りとなっている。ただし自分の家族だと下の名前もだいたい同じで、漢字まで同じなので識別ができないらしい。なので、よく分からない呼び名が通り名になっているようだ。

なので例えば偽名だが「ヤスオさんとこの」とか「ヒロミチの娘」とか名前で判別出来ない概念として扱われている人たちがやたら出てくる。しかも直接会っても名前が「おいヨシ」とか「タケ」みたいなニックネームになるので親戚が実名で思い出せなくなっているそうだ。

なので家系図には明治時代の名前みたいなのがゴロゴロと列挙されている。まじまじと見ても本当に自分の親戚なのか自信が持てない。


引っ越ししたい気持ちが出てきている。地域も不満がゼロではないが良いところも多いので、もう少し広いところに住みたいという気持ちになっている。

でっかいホームセンターがあって、スーパー銭湯が近所にあるというのを探していたら新習志野が出てきた。塩害がなければ良いところなんだよなあ京葉線沿線。前に住んでた時はいろんなモノが錆びて行ったのにビックリした。包丁とかドアノブとかも塩害とサビのコンビでどんどん腐食していくのは驚いた。


評価軸みたいなことを考えると「加害者」「被害者」というのがネットでよくあるが「有利」「不利」というのがもっと大きい軸としてあるなと思った。


オモコロで妙な印象を受けることがある。全員がコンテンツに集中しているからか、演出というか読み手側のデザイン、インターフェイスがあまり良くない。

具体的には記事を読み終えてもトップページに戻る方法が無い。デイリーポータルZで慣れてしまっているのか、記事が終わるとトップ画面に戻れるようになっている。買ってくれ支援してくれと明確にメッセージを出している。今日更新された記事を読めたりする。便利なのだけど、だけどオモコロにあまりそういう導線がない。

オモコロだと画像が並んでいて記事作成のこぼれ話や作者を紹介するスペースになっているがリンクを辿ったところで、みんなYoutubeに出てたりして記事もロクにない状態なので、虚無だらけの場所に突然投げ込まれるような仕組みだ。

オモコロ、ふっくらのメンバーは特集の記事には出てくるが誰が何に出ているのかみたいな読み方ができない。ライターの記事には登場するものの、誰がどれに出てたみたいなのが作者以外ないので、「ヤスミノが出てる記事全般を見てみたい」みたいなことが出来ない。

ブロスやジモコロのほうがまだ誰かが出ているというのが明確に出てるのが分かるからそちらの記事を読むことが多かった。

なんというかデザインでも見た目ではなくて、アクセスした時に楽しめるような構造にしたほうが収益だのなんだのが改善するのではと思った。


太っている時に、ひょっとしたら痩せる方向に考えを向けることを思いついたのだが、その時の自分に効くかどうか分からないがこういうのが浮かんだ。

「食わなくて良いなら、食いたくないでしょう?」

なんとなく、習慣とか無意識で間食が癖になっている事もあるのでこういうのはどうだろうと推測している。明確に特定の何かを食べたいという欲求があるなら話は別だが、不快な気持ちをどこかに追いやる解決方法が無くて気がつくと食べるみたいなことがある。こういうのは食べ物だと気分がリフレッシュしやすいというのもあるから手軽でそういうのに行きがちになる。

こういうのは気分転換の手段が食う以外にも増えればひょっとしたら良い、というのがある。依存先を多数用意して幾らでも逃げられるようにする、みたいなことだ。ただし逃げ道には絶対達成感があるものだけしか解決できない。

酒やらギャンブル、場合によっては異性を振り向かせるというのが達成感だったりするのでそういう依存症になるリスクはありつつ、食べる方向とかより危険だ。

この当たりは筋トレ、勉強、社交とか正しいだろうけれど鬱陶しい話に巻き込まれやすいので正直近寄りたくない。


バスマティライスを何の気無しに炊いて食ったらロウソクみたいな臭いがした。大失敗だ。

タイのジャスミンライスの感覚で買ったけれども銘柄が違うものなのに、同じように炊いてみたらとんでもない結果になった。一緒に作ったカシミールカレーもしいたけを入れたりしたところ、全く辛味が抑えられたものになったので、期待から外れたメシになって気落ちしてしまった。

2024.10.14 / Category : 小噺
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