山男の歌

リズム感が自分の中で全然合わなくて具合が悪い。
歌い出しが裏拍なのか変拍子のように聞こえて、2拍の曲だから頭なのは分かっているけれど、不思議な気持ちになる。

村下孝蔵の音楽を聞く。村上保のイラストと相まって世界が子供の時に聞いていた音楽のフォーマットとして成立していたのを思い出す。
自分の作曲活動のルーツみたいなものにもあるんだなあとは思う。扉絵というかアートワークに対する想いとか。

ロマンスカーという曲を聞いて、喜多見か町田辺りの駅近の貧乏暮らしを続けてしまったカップルというストーリーをイメージしてしまった。
金がないのが本当の理由なのに、言葉足らずでギスギスした言葉遣いで世界が満たされてるような生活をイメージする。金も無いのに温泉に行きたいとか、道具もないのにスノボ旅行に憧れたり。家族になるために必要なものがないだらけの恋人たちの話。
アパートに二人で閉じ籠もるのに耐えられなくて、線路沿いのファミレスに逃げ込む。場所を変えても何も変えられていないことに心を締め付けられていく。メニューに悩んでるふりして、何かから開放されたいと念仏のように唱え続ける。
2022年に詩情は全然違うものになっているから、むしろ別世界にしか見えないものなんだろう。

89年とかプリンセスプリンセスが台頭していた時期だから世界は全然噛み合ってなかったと思う。世界でいちばん熱い夏とかリリースされてて、希望が世界を魅了していた時だから、その時は希望に飢えていた事に気付かされたんだと思う。


歌謡曲も今からしてみると、色々と感じるものがある。
社会に放り出されてから、金が無いことを突きつけられ、異性からは容姿に対して突きつけられて、攻撃的な人間から権力などありとあらゆるものを突きつけられて、自分が弱い事を知っていると共感する音楽も変わってくるし、子供の頃の性格とは全く違うものに変わっていると自覚する。

この中にある「貧困はいくらでも愛を邪魔する」という言葉は強烈だよなと思うけれど、これぐらい貧困は厚かましい。この表現にかなり心を打たれている。

愛というか、なにかをやり遂げたいとかモチベーション以前に生きていくすら邪魔してくる。そこからダメージを受けて、みんな化け物になるための蛹になっていくのだろうかと思った。

2021.12.29 / Category : 小噺