虫のような生活

そもそもコオロギを食べたくない、というのがあるんだけど色々と様子を伺ってると、「コオロギを食べましょう」「コオロギを食べるべきです」と一方的に要求してる人しか見えない。
「アイツラ自身が食ってねえし、おれは虫が嫌いだから食いたくないし、この状況はひたすらキモいな」という感想が3秒ぐらいで出てきた。

海外の経済学者が前にニュースでインタビューをしていたけれど「日本人とかは虫でも食ってればいい」みたいな、心の底で何を考えているのか分かるような表情をしっかりとカメラにおさめていたので、そこは誠実だなあ、とは思った。明確な敵対心。

自分から見える景色としては昔、流行っていたclubhouseのノリに近い。
金の匂いにどこからか集まってきた、まだ捕まっていない連中が「どうすればコオロギで金儲けが出来るんでしょうか?」みたいなトンチンカンな質問とかを繰り広げて怪気炎を上げているような状況だ。
虫だけにそんな連中は駆除されて欲しいなあとボンヤリおもう。

なんとなくこの当たりの違和感は一神教にありがちな根底の考え方にある「こいつらは人間じゃない。だから、限られた人間の食料を明け渡すな」というような本能的な差別意識みたいなものが見える。
権威だなんだと言われて何も疑わずに正しいと丸め込まれた人たちが周りを振り回しているようにしか見えない。
歴史的にそんなことをやって根絶に近い形に弾圧されたのは天草四郎の一派だけど、やっぱり今でも騙されてヨーロッパに家族を奴隷として送り出すことは繰り返すのかなあと思ってしまう。


AIのいいところは、検索エンジンみたいなところかなあと思った。
昔の検索エンジンのように検索結果に欲しい情報が提示されて、そこから実生活に活用する、というのがある。

じゃあ、ここから色々と進化していくと予想すると、情報汚染されたAIから倫理的に認められない発言なんかを商業的な理由で発覚されないように手を加え、狡猾に色々な所に仕掛けて洗脳のやり合いみたいなものになっていくのだろう。

生まれて20年も経過した今のgoogleなんかは、こたつ記事提示の品質の低い情報を最初に検索結果に掲示するしか出来なくなっている。そんな今の姿をみているとAiの数年後の姿は、進化したかのように見えて「いかがでしたかブログ」みたいなノイズしか生成出来ないようになっていくのではないかと推測している。検索エンジンとしては優秀なのかもしれないけれど、探した先がクソしかないし、クソが良いものと認識されるようになっていってるから、浄化槽の中身を延々と循環しているような状況になっているかもしれない。

そんなことを考えていたらオードリーのANNで同じ様にGPTChatを使ってみたら延々とその場しのぎでGPTChatが正しくないことを延々と言っていて、やっぱり信頼できる人の方が良いという話をしていた。

宗教は頭のいい人たちが作りあげたのは間違いない。そのフレームワークからを上手に利用し、好き勝手に危機を生み出してビジネスが最近増えているんだなあと思った。
昔だとアメリカの拳銃問題があったけれど、法律で禁止されているから世界中で問題にならずに済んだというのがあるけれど、ちょっと前なら大麻解禁問題だと法律で禁止された所で薬物だから汚染されている。
これはアヘン戦争と同じで、暴力を資本に交渉をする時代になっているから、戦前になりつつあるというのも分からんでもない。

2023.03.05 / Category : 小噺